瑞庵2の「土夜セッション」に、最近はずっと客として通っている。今回は、密かに特別な思いを込めての参加となった。
かなり前のことだが、このセッションの前任者のツッチーさんから、ホストのピアノはくれぐれもまんぼうがよろしく頼むと言われ、様々なご恩もあるため意気に感じて可能な限りホストとして参加していた。ところが、仕事の内容が変わって多忙を極めるようになってからは、職務の性格上、急に欠席となる可能性が多くなり、できればピアノを他の方にお願いできたらと、新しいセッション・マスターの奈良さんにお願いをしていた。客としての参加ならば、急に行けなくなっても迷惑はかかるまいと考えてのことだ。もちろん、確実に行けるとわかる日にはホストとして参加し、長年にわたりほぼ毎月通い続けているセッションである。
しかし、コロナ禍となって中断となり、その後再開したが、職務に関わる立場の事情もあり、最近では全て観客として参加している。それでも、奈良さんは、いつもファースト・コンタクトで私に声をかけてくださる。とても感謝している。
長くセッションに通っていれば、様々な人との出会いや別れがある。今回は、あえて口には出さないものの、ある特別な思いをもって参加をした。
まず、わざわざ少し早めに現地に赴き、瑞庵2の隣にある某ラーメン屋に入った。ここは、先日に惜しまれつつ逝去した音楽友人とよく来た店である。瑞庵2で会うと、ちょっと食べに行きませんか?と声をかけられ、何度もラーメンを食べに来た。そこで様々な話をした。彼がご病気になられてからも、計3回訪れた。
店の場所はコロナ禍前とは変わったが、店内に入れば前店舗と全く同じ構造なので、それは誠にすばらしいことだと感じる。経営者が、移転しても雰囲気を変えずに店をそのまま残してくださったことを尊敬している。店内に入れば、彼との思い出が鮮明に蘇る。ときに、変えないことは、変えるよりも難しいのである。
彼とはかなり古くからの付き合いで、出会いは瑞庵2が旧店舗だったときに遡る。会うと、飲みながらとにかく様々な話をした。
初期の頃は、私も彼もオーディオ好きだったということもあって、マニアックな話題で話が弾んだものだ。ハーマン・ガードンというスピーカーのメーカー名、長岡鉄男が設計した自作スピーカー、と言って話がわかり会話ができるのは、彼と藤岡さん位のものだろう。ジャズの名盤についての話や、レコードとCDの音質構造の違いについての彼のうんちくも、とてもおもしろかった。(意味が解らない方、すみません・・・検索してください。)
あるときは、彼が仕事で上司と対立していると打ち明けてくれて、私に、あなたならどうするかと相談してくれたこともあった。もちろん、私にだけではなく、多くの友人に相談していたとのことだ。また、その後は彼が親の介護で苦労をしている話もしてくれた。今は、自分が同じ境遇になっているので、当時に彼が言っていたことがよくわかる。どんな思いをしていたのかということも、やっとわかるようになった。
今頃になって感謝しても、改めて相談したくても、彼はもういない。
セッションやライブでは、瑞庵2でも、他の店でもよくご一緒した。ほぼ偶然である。あるいは、私が企画したイベントやライブに来てくれたときもあった。声をかけて待ち合わせたことは、ン十年でたったの2回だけだ。
通算で共に演奏する機会が一番多かったのが、この土夜セッション(前の企画からの連続として)だ。他の機会に頻繁に会っていたわけでもなく、音楽活動の場でたまに顔を合わせて会話を少々して、共に飲み食いをし、そして運が良ければ一緒に演奏ができたという、心地よい付き合いだった。コロナ禍で中断していた土夜セッションが再開したときから、昨年11月のセッションまで、ほぼ毎回来てくださっていた。
彼は、大昔から、自分のドラムパターンと私のピアノとの相性がいいといつも言ってくださった。彼がアオリで入れる裏拍音やシンコペーション、おかず(フィル・イン)等が、私のピアノのそれとなぜかピタリとはまるのである。
昨年中のセッションの後に、闘病中の彼と千葉駅までご一緒に歩いた際に彼が言っていたが、実は、私が演奏するバッキングのパターンをつかんだので、そこにハマるパターンを意識して演奏していたのだそうだ。とてもわかりやすくて、気持ちがよいとも言ってくれた。実は合わせてくれていたのに、相性がいいと言ってくれた彼の気持ちが嬉しかった。
私自身のことに話が変わるが、前回2月のセッションの際には、少しピアノ演奏の感覚が戻ってきたかもしれないと書いたが、今回は再び不調だった。特に、アドリブ・ソロの際に、コードネームに伴うスケールや鍵盤における音の位置が頭の中で混乱してしまい、どうしてもコロナ禍以前のような演奏には戻らない。
しかし、バッキング演奏をしている際には、心の中で密かに彼のドラム演奏を思い出しながら演奏したからか、調子よくできた気がする。
今回の土夜セッションは、久しぶりに参加者が多めで大盛況となった。前に予告したとおり、トロンボーン演奏のデビューも果たしたかったが、今回は譜面作成が間に合わなかったため、潔くあきらめた。間に合ったとしても、トロンボーンをやらなくてよかった。今回のハイレベルな参加者の前では、恥さらしになっただけだろう。参加者が数人といういつもの状況だったら、彼への思いを込めて選んだ曲を、こんなことはみじんも言わずに、密かに演奏するつもりだった。そのうちに別の機会にチャレンジしようと思う。
ちなみに、私はこれまでも大切な音楽友人を何度も失ってきたが、私自身は追悼ライブと謳ったイベントやライブは決して企画しなかった。その方とご縁の深かった自らのイベントやライブで、何も余計なことを言わずに写真(遺影)を飾っておき、私の心の中に生き続けるその方とご一緒に音楽を楽しむのである。
そういう意味においても、今回のセッションは、私にとって密かに彼を追悼する場となった。
私は、彼の追悼のライブや偲ぶ会のような何かを企画するような立場ではないし、仮にその資格が私にあったとしても、これまでと同様に追悼何ちゃらライブ&セッションやイベントの企画はしないだろう。
また、他の方の企画で万が一そのようなイベントやライブ・セッション等がアナウンスされたとしても、これまでに私自身が彼に会ったことがない企画には行かないつもりだ。あるいは、追悼や偲ぶ会を目的としたイベント等が新しく登場しても、私は絶対に行かない。まあ、フェイスブック等のSNSをやらない私は、そんな情報を知ることもないから、鈍感であることができてすごく助かる。
今後も、彼とのご縁が深かった土夜セッションで、密かに彼を思い続けていたい。忘れないことが一番の供養である。(注:次回、4月1日のセッションは、私は個人的な事情により欠席予定。)
コロナ禍が落ち着いて来て、様々な社会活動が復活してきているが、最近になって、私が自分勝手に古くからの友人だと思っていた人達が、私のことを無視して音楽活動を再開しているような情報にふれ、空しい感覚に陥ることも時々ある。コロナのせい、と言えば全てそれでまとまると考えているのかもしれないが、縁とはそういうものではないような気がする。
別に、私のことを忘れ去った過去の友人に恋恋としているわけではない。彼の死をきっかけに改めて感じたのだが、今の私は複数の心の友に恵まれていて、すごく幸せ者である。もちろん、彼もいつでもフラットに私と向き合ってくれ、真の友人であった。これからも、目先のことに一喜一憂せずに、真実のご縁を大切にしていきたい。
今回の音楽友人の訃報に触れて、周囲の人には気づかれなくとも長年の年月を経て真実の友情が育まれていることがあるということを実感した。彼が12月のセッションを再入院で休んだ際をきっかけに、翌年2月の頭まで何度かやり取りをしたメールの内容は、私の心を大きく揺さぶった。一時退院の際に会うという約束は、彼の他の予定と重なったということで実現しなかった。最期の2回のメールは、短文だった。力を振り絞って送信してくれたのだろう。
まさに諸行無常である。
ところで、不思議なことがあった。
このブログの読者は、どう推計しても80人程度のはずだ。ところが、今回の土夜セッションに参加した後に、118人からのアクセスがあったという記録が表示されたのだ。
ちなみに、このブログのシステムを調べて確認したところ、同じ日に同じアドレスから何度アクセスしても、閲覧者数は増えない仕組みとのこと。記事を読んだ数のPV数も同様のようだ。それが当たり前だということらしい。つまり、不心得者が自分の閲覧者数の順位を上げるために自ら何度もアクセスするとか、ソフトを使って連続してアクセスするというパターンを阻止するための機能のようだ。表示されるアクセス人数は真実である。
ただし、まずはスマホからアクセスして、その後にパソコンの別のアドレスからアクセス、というようなことをすればダブル・カウントになるようだが、そこまでする人はそうはいまい。
もしかしたら、お亡くなりになった彼が別の世界で読んでくれたのかもしれない。そして、そこでの仲間にこのブログのことを伝えてくれたのではないか。彼には、このブログを開設した後にメールでURLをお伝えしたところ、しばらく経ってから、早速読んでくださっているとの連絡があった。またいろいろと話をしましょうとお互いに確認しつつも、ついに実現しなかった。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。

