今年の正月休みは6日と少し短めでしたね。
年末は、観劇の予定を入れていたので、
年始は一泊二日で旦那の実家の福島に行ってきました。
正月に福島に行くと、親戚で集まって、神社にお参りに行って、あとは箱根駅伝をみて・・・。
というのがほとんどですが、今年はどこかに行こうと計画しました。
前から行ってみたかった
飯坂の「医王寺」に行って見ることにしました。
お正月だからって言ってお寺さんは関係ないだろう。
と思いましたが、いやはや・・・・。
調べてみるとお正月は営業?していないとのこと。
ま、お寺とお墓がみれればいいやと出かけました。
福島駅から飯坂線で医王寺へ。
飯坂線です。ピンクでかわいい
福島駅から20分くらい
飯坂温泉の少し手前の「医王寺前」で降りて医王寺に向かいます。
医王寺までは、住宅街を15分くらい歩きます。
松尾芭蕉も奥の細道で医王寺を訪れて俳句を詠んでいます。
この道を芭蕉も歩いたんですね。
医王寺に到着です。
医王寺は奥州藤原氏の一門である佐藤氏の菩提寺です。
佐藤基春は、藤原秀衡の命を受け二人の息子継信、忠信を源義経に従わせました。
佐藤兄弟は、義経に忠臣として名を残します。
日本人はやっぱり義経好きですよね。
娘も義経好きなので「佐藤兄弟のお墓が福島にあるよ。」と言って連れてきたわけです。
芭蕉も源氏好きなので(だぶん)ここを訪れたんでしょうね。
まずはご本堂にお参りに行きました。
扉も閉まっているし、やっていない雰囲気満載ですが私たちのほかにも
観光客が来ていました。
ご本堂の隣には芭蕉の碑があります。
「笈も太刀も五月に飾れ紙のぼり」
「笈」(おい)は、弁慶の笈(背中に背負っている道具入れのようなもの)
「太刀」は、義経の太刀を指しているそうです。
「笈」は、医王寺の宝物殿にあるのを芭蕉が見て歌に詠んだものらしいですが。
この宝物殿。
もちろんお正月で閉まっておりました
これが医王寺の地図です。
山門を入りご本堂にお参りしたら
長い杉並木?を抜けて佐藤兄弟のお墓を目指します。
気持ちのいい境内です。
途中義経と佐藤兄弟の像がありました。
真ん中に構えるのが源義経公。
右側のがお兄ちゃんの継信。
左側が弟の忠信。
三人の像の隣には「あゝ義経~佐藤一族」の歌碑が。
この歌の歌詞を読むと大体の歴史の流れがわかるという・・・。
継信は、屋島の戦いで義経の身代わりになって死んでしまいました。
屋島の戦いがあった高松(香川)にも継信のお墓があるようなので、
そのうち高松城に行くときに寄れたらよってみたいかなっと。
杉並木を抜けたところに小さなお堂があって周りに佐藤一族のお墓が並んでいます。
日本の英雄源義経の四天王の佐藤兄弟は、飯坂の英雄ですよね。
乙和椿は、佐藤兄弟のお母さん乙和御前が、二人の息子を失った悲しみから
花を咲かさずにツボミのまま落ちてしまうという言い伝えのあるツバキです。
「乙和の椿」も民謡になってるようですね。
いろいろ歌になっていて面白いです。
医王寺なんといっても宝物館が見れなかったのが心残りですが。
回りになんの観光地もないのでなかなかもう一度来る機会がなさそうです。
2005年の大河ドラマ「義経」の時のポスターが貼ってありました。
2005年はこのお寺もかなり盛り上がったんでしょうね。
佐藤兄弟のお顔をクローズアップ。
佐藤継信は、宮内敦士さん。
佐藤忠信は、海東健さん。
ぞんじ上げなくて申し訳ございません。
医王寺のお話しはここまでです。
次にはちょっとだけ福島で買ったものを載せたいと思います。
ああ、、、まだブログは正月です