2012.3.11まで1ヶ月を切った頃から、
「311の予定は?」という話題が
誰からともなく出てくるようになった。


流れる時の中に、私たちは記憶という「点」を置く。
その点のひとつとして
1年後にあたる2012.3.11は
誰にとっても、特別な日だったと思う。

あらゆる境遇の、いろいろな立場の、
無数の生命の、複雑な思いが
今もなお、そこかしこに漂っている。
形を変えることはあっても、
それらが途切れることは、少なくとも
あの日を体験した私たちが生きている間は
ないのかもしれない。


かくいう私も「3.11はどこで何をしよう?」
ということを、随分前から考えていた。

大騒ぎをする気分にはなれない、
かといって、家でひとり、
いつもどおりに過ごす気も起きなかった。
また、個人的にはこの日に限っては
原発について言及するのも、どこか違うと思っていた。

祈り、振り返り、過去を
しがらみからほどかれた過去に変え、
また1歩を踏み出す。
そのための何かを私は期待していたのだと思う。


「○○に行くことにした」「私は○○へ」
「家族と家で静かに過ごすよ」
「キャンドルナイトやりたい!」


3.11が徐々に近づき、
それぞれの方向は定まり、
思いは自由に散らばっていった。

そして私は、不思議なことに
これまでほとんど縁のなかった岡山へ
行くことになった。

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音楽の仕事をしている友人のなおしくんは
岡山市で開催される「いち@311」のコンセプトに共感し、
サイレントパレードのDJを務めることになっていた。

「いち@311」は、
2011年11月に開催された有機生活マーケット「いち」が、
311という日に、岡山の町を有機的に繋げるスケールで
イベントを開催しようと企画されたものだった。

充実した地産地消/安心食材のマーケット、
宗派を超えて311への祈りを捧げる献花式典、
ことばを超えた調和を模索するサイレントパレード、
協賛団体によるさまざまな関連イベント。

特にサイレントパレードは、
地球の自転によって発生している音
「シューマン共鳴波」をベースにした音楽を3台のサウンドカーで流しながら
ただ、静かに歩こうという、実験的なアンビエントパレード。

静かに過ごしたい、
けれどひとりではなく、誰かと繋がっていたい…。
振り返るだけでなく、ちゃんと、未来を見据えたい。
「いち@311」は、そんな私にとって
こんなイベントがあったらと妄想していた内容に近いものだった。


6月に、避難旅から帰ってきたあとは、
日々に追われて遠出をすることもなかった。
時期的にはそろそろ保養もしたほうがいい頃だった。
なんとか仕事のやりくりをして、
私は岡山で311を過ごすことにした。


 この日、
 失われたものと、
 生まれたものへの祈り。

「いち@311」のフライヤーに書かれていた言葉だ。



点は、どこまでいっても点でしかない。
だから、私はそこに意味を見いだす。

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岡山へは、なおしくんとふみおくんと3人で車で行くことになった。
夜中じゅう交代で運転し、早朝から開いている温泉に入って
目を覚ましてから現地入りした。

会場に入った時は、ちょうどマーケットが始まろうかというところだった。
多すぎない? というほど多い飲食店や
被災地支援に関わる団体の出店ブースなどが
敷地の中にびっしり並んで、とても賑わっている。
たくさんの再会と、出会いとが
待っていた。楽しい楽しいお買い物とごはんの時間。

お客さんを見ても、年代も客層もさまざまで
あまり傾向というものがない。
岡山の地域性なのか、それとも
都会という場所の入り込みやすさのせいなのか。
客層の限定がないというのは、
意外と運営する側にとっては難しいこと。
どうしても、個々のニーズに合わせた
より多くの配慮が必要になるからだ。
それがきちんと、しかも自然にできているところが
まずすばらしいなと思った。

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朝は晴れていたのに、
献花式典では、始まる前だったか直後だったかに
ポツポツと雨が降ってきた。止みそうもない雨だった。

式典の間、雨の中で静かに手を合わせていた。
お坊さんもいた。おじいちゃんもおばあちゃんも、
若い人たちも、子どもたちも、いた。

まず、東北を思い、祈った。
それから、特に福島のことを思い、祈った。
それから、子どもたちを思った。
そして、原発事故のあと、各地に散らばった仲間たちのことを思った。
311後の避難旅のことを思い出し、
悩んだ末に帰ってきた藤野での日々を思った。

祈れば祈るほど、
この1年のことがドッと思い出されて
不覚にも涙が出てきた。


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式典が終わった。
お花屋さんで花を1輪買って、献花する。
手を合わせ、目を瞑る前に、献花されたたくさんの花を見つめた。
今日、日本中で、どんなことがおこなわれ、
どんな思いが錯綜するのだろう。
それが、怒りや後悔を吐露することではなく、
温かな祈りであればいい、と私は願った。

式典が終わり、パレードに出ようかという時
雨がパタリと止んだ。それはもうみごとな止みようだった。
日の光まで射している。汗が滲む。
風がとても強い。

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パレードでは、先頭から最後尾まで、写真を撮った。
当初はそんなつもりもなかったし、
どちらかというとなおしくんのDJを
最初から最後までばっちり聴いていたい気分でいたのだけど
写真を撮り出したら、一部を切り取るだけでは、
不完全な気がしてきた。

このパレードはひとりひとりがバラバラだった。
だから、このパレードは、全部でひとつだった。
点が、流れを作るのと同じこと。
パレードは大きな点ではなく、小さな点の集まりとして
ひとつの祈りを形作っているなと、私は思った。
だから、全部を写しておきたかった。

どんな人があの場所にいて、どんな思いで311にこのパレードを歩くのか。
なぜ、デモではなくサイレントパレードだったのか。
いったいどれだけの人が参加しているのか。

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パレードは、終始静かだった。
かといって沈痛な雰囲気でもない。
ただみんな、いつもの会話をしながら
列にそってゆっくりと歩くだけだった。
言いたいことがあるヒトは
叫ぶのではなく、プラカードに思いを書いて歩いていた。
言葉のない世界では、文字はより、重みをもって感じられた。

それから、ささやかな会話の下に
サウンドカーの音楽がそっと潜り込む。
音楽が流れると、人々はその音に自然と耳を傾け、
パレードはより一層静けさを増した。

シューマン共鳴波は1次、2次、3次と
層によってチューニングが違っていて
サウンドカーにはそれぞれのチューニングが割り振られている。
サウンドカーで鳴らされる音楽にはそれほど共通点はないのだが
それぞれのサウンドカーの音が重なる部分を歩いていると
不思議と妙な気もち良さがある。
音ではなく、響きが生んでいる気もち良さだ。

その音の響きの中で、定点で写真を撮る、
規則正しくシャッターを切る、というルーティンワーク。
ルーティンワークは優しげな瞑想だと思う。心が自然と空っぽになる。
私は、内側に向かっていた(と、あとで思った)。
歩いている人たちも同じ状態だったのではないかと思う。
ただ、歩く。シューマン共鳴波の、
細かく、調和した響きの中で
もくもくと歩いているうちに
心は自然と内側に向かっていたのではないかと思う。

内側へ向かえば向かうほど、私は祈りの中にいた。
そして、穏やかな心で1年間の自分の日々を振り返った。
走馬灯のように。
ぼんやりと眺めた走馬灯のように。

とても客観的に。

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神奈川県在住じゃ、悲しみ、落ち込み、絶望するのはおかしなことだろうか。
被災地ではないが、事故の影響が
まったくないわけではない地域に住む私たちの
じわじわとした心の葛藤や悲しみや、もどかしさ。

今も毎日のように、私はどうしたいんだろう、何がしたいんだろうと
思わないことはない。離ればなれになった仲間を思うたび、涙が出る。

それでも、いいことと悪いことはバランスよくやってくる。
それがわかっているから、私は楽しく、日々を過ごしていられる。
だから、今年は良い年なんだろうと何の疑いもなく、思っている。
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パレード全体をとおして感じた統一感、
まるでひとつの物体であるかのような共感。

個々が内側に向かった結果、
その心と心と心が結ばれた。
内面から祈りを発したとき、その祈りは
別の、同じように内面から発せられた祈りと引き寄せ合う。

そして祈りは大きくなる。
見えないものも、見えるようになる。



午後2時46分。
再び私は祈った。
当然のように、大きな祈りがそこにはあったけれども
私はパレードの、みなの無意識の祈りが集まった
あの響きの祈りが、忘れられない。


写真はこちらから↓
いち@311
いち@311 サイレントパレード定点観測