○○さん、メッセージありがとうございます。

ですが、私は藤野におります(笑)。
気持ちは祝島、そして愛知まで飛ばしていますが、
仕事があり、思うようにはいきません。

私はあまり反対運動的なものに積極的に関わりたいほうではありません。
署名ぐらいでよければしますが、それ以上何になるんだろうと思ってきました。
1日、反対運動に参加したところでそれはひとごとだし
偽善ではないかとすら感じていました。

でも、食を菜食に変え、
自然に囲まれた藤野に引っ越したことで、
特に環境問題はひとごとではなくなりました。
すこしずつ意識が変わりつつあるところに、
さらに今回は、ちょうど映画を見たタイミングが重なりました。
ひかり祭り、あるいは牧郷ラボをとおして知り合った
多くの知人友人が、一生懸命に情報を流し、行動しているのを見て
偽善を感じている私は、果たして本当に偽善ではないのだろうかと思いました。
原発なんてイヤだーと思っているのに、何も言わない、関わらない自分は
偽善ではないのだろうか、と。

ずっと世界は変えられないと思ってきた。
でも、そう思わせられているだけなんじゃないかと最近思い始めています。
世界は変えられる。
不自然にねじ曲げる前の、本来の流れに、戻すのです。

cop10の会場から現地まですぐに動き出した人たち、
ヒッチハイクで祝島に向かった友だち、
cop10でなんとかこの窮状を訴えようと頑張っている仲間たち、
ハンガーストライキをしている山ちゃんも、
ラボやひかり祭りと縁のある、よく知っている人です。

高尾のトンネル問題で頑張っている
ケンジュウの会の坂田さんが、あるイベントでこんな話をしていました。

「みんな、よく知らないからえらそうなことは言えないとか、ちゃんと勉強してから発言するとか言うんだけど、よく知らなくても言っていいと思うんだよね。この間もね『チームうかつ』っていうのを作ろうかっていう話をしていたんだけど(笑)。うん。どんどん、うかつに発言しちゃっていいと思う。だって、そうやってちゃんと理解するまで何も言えないなんて言ってたら、その間に工事が進んでどんどん手遅れになっちゃう。それじゃ遅いんだよね。それにね、話を聞いた時にパッと直感で、イヤだなとかいいなとか思ったら、それってだいたい合ってるんだよね。感覚ってバカにできない。だから大丈夫。高尾にトンネルが掘られてどう思う? イヤだな…そう思ったら、どんどん声をあげてほしい」

私は今回、上関原発の情報が流れてきたとき
珍しく、いてもたってもいられなかった。
友だちから回ってくる情報って無視できないですね。
全然ひとごとじゃなかった。
祝島の映画を見て、こんなに平穏な生活をしている人たちが
原発の候補地に選ばれてしまったという宝くじのような確率のせいで
30年近く、反対運動を続け、悲しい思いをしていると知りました。

それなのになぜ当事者以外の人たちは、
上関原発のことを情報としてすら、知らないんだろう。
なぜ、せめて知ることができないんだろう。
なぜ、声をあげることが無力だと思わせられてしまうのだろう。

この歪みが、なにより悲しいことです。

藤野にも、近い将来、
リニアモーターカーが通りますね。
私はその時、どうするんだろう。どうしたいんだろう。
何ができるだろう。

今、私は何ができるだろう。
基本ゆるーい人間で、
流れに逆らう気はさらさらないのですが…。
自問自答の日々です。