文章を書くこと以上に
人と話をすることが好きだ、と気づいたのは
つい最近のことだ。
人と心地よい交流をすると感動が生まれ、
私はその感動をその都度ことばに置き換えてきた。

感動は心のうつわから溢れて、広がろうとする。
その溢れ出るものを処理する手段が、
私にとっては文章であった。

音楽や絵や造形、映像や写真、そして言葉。
私たちは、形を求める。
そうしなければ、心から溢れたものが
行き場をなくして漂ってしまうからだ。
そして、そうしてしまうには惜しいほどの感覚を、
感動は内包している。

日々さまざまな感動が在る。
そして感動が得られる限り
私たちはそれをなんらかの形にしていくだろう。


表現とは
感動屋の宿命なのだ。