THE BENDSのライブが吉祥寺であった。
その詳細の連絡がきた時、
対バンの欄にex.バンジージャンプフェスティバルの
町田さんの名前を発見した。

胸がドキリ、とした。

バンジーは、私が作っていた本で
取材回数がダントツで最多だったバンドだ。
彼らの変遷を(3年前までは)
ストーカーばりに追い続けていた。
町田さんに至っては毎号「バンジー昆虫記」という
大人気連載も書いてもらい、
つまりは、私の作っていた本とは
切っても切れない関係だったのである。

それなのに、行方不明中だった私は、
彼らの解散を知らないまま日々を過ごしていた。
のちに解散を知った時、どうにも虚しくて、
自己嫌悪と後悔だけが心に残った。

その後も町田さんがソロで活動しているのは知っていたが
なかなか足を運ぶ勇気は、沸かなかった。

だけど不思議なもので、
縁というのは切っても切りきれない。
まさか、THE BENDSの対バンで
町田さんのライブを見るきっかけをもらうとは
夢にも思ってもいなかった。

バンドが好きだとロックが好きだと
常々言っていた町田さんが、
ソロでどんなふうに歌うのだろう。
楽しみでもあり、不安でもあった。
元気でいるかな。音楽楽しんでいるかな。
行方不明になったのは自分のくせに
何をえらそうに、と自分でも思うが
そんな心境だった。

ところが、そんな心配はまるでいらなかったのだ。
すざまじくハイテンションでぶっ壊れたステージと
以前より逞しく突き抜けた歌の
おそらくは町田さんが行き着いた先というのは
痛いほど伝わってきてしまった。
3年間、彼は歌い続けていたのだ。
私の心配など、かなうはずがない。

“ダメだけどくさっちゃいねぇ”

最後の取材の時に町田さんが言い、
キャッチコピーにした言葉だ。
その言葉そのままにステージに立ち
そのままに歌われた歌は、
強く自分をさらけ出す以外の何者でもなかった。
着飾った歌よりもステージよりも
人を惹き付け魅了するのは
生身の言葉であり全力の歌であるということを
町田さんは示していたように思う。

つい先日、“私、私”と
私ばかりが主語の、とある作家のエッセイを読んで
なんだかうんざりしてしまい
あんまり私、私、というのはやめよう
と思った矢先だったのであるが(笑)
結局“私”のことがいちばんよく書ける、というのは
良くも悪くも真実なのだと思った。
要は書き方の問題なのだ。

この3年間、どんなことが彼らにあって
どんな心境の変化、変遷を経て
町田さんが今ここでこれらの歌を歌っているのか。
残念ながら、私には一生知ることはできない。

私は3年間、自分にとって大切なすべてから逃げ続けた。
誘惑に負け、目をつぶり、耳を塞いだ。
それなのに私は
文章を愛しているだろうか。音楽が好きだろうか。

答えはわかりきっている。
それらに救われ続けてきた人生だ。

だけど、自分のしょーもなさゆえに
胸をはって言うことができない。
周りの人みんながひどくかっこよく見え、
自分がひどくかっこ悪く思える(そしてそれは事実だろう)。

アンコールで、
(たまたまなのか普段から歌っているのかはわからないが)
バンジー時代の名曲「不良少年マーリー」を歌ってくれたのも
きっと何かの縁なのだと思う。
町田さんと私は、根本的な部分が似ている。
締切が近づくと連絡が取れなくなるあたりとか(笑)
でも“もうムリです、限界です”という最終締切には
なんとか間に合わせるあたりとか(笑)。
ダメだとわかっているのに、ほかにどうにもできないあたりとか。
だからよけいに、歌っていることの意味がわかって胸が痛い。

“昆虫記、いつ続き書くんだろうって思ってたんだから”
と町田さんに言われた。
CDを買ったら“じゃあせめてサイン書くよ”と書いてくれた。
家に帰ってCDを開けたら“ゆきちゃんへ”と書かれていた(笑)。
なんにも言ってないのに、私の名前、よく覚えてたなと思う。



自由になるには
不自由を受け入れる覚悟が必要だ。

そう心に決めたのがわずか2日前のこと。


そのタイミングで町田さんのライブを見た。
偶然は必然、その言葉の意味を確信したくなる。


どーせオレはかっこ悪い。
ついでに、バカは死んでも治らない。

ダメ人間に生まれたからには
ダメ人間人生まっとうしよう。

2日前、そう、心に決めたばかりだった。