旦那さんは15日、16日頃には退院できるとずっと思っていました。

 

私が介護保険適用の申請をしようと行動を起こしてから、私の頭の中では具体的なスケジュールも出来ていない中、トントント~ンと話しが一人歩きして、最初は今月の3日に退院、そして延期になり15日か16日に退院と・・・

 

でもこの15、16日って旦那さんの頭の中で出来上がったスケジュールで、友人達に病床からLINEを送りお手伝いの要請をかけていました。

 

私はいずれは使うかもしれないと介護保険適用申請を出し、トントント~ンに乗っかり、やってみっか!!になり・・・・

 

しかし旦那さんの暴言で心が折れ、お姑さん含め全員の反対を受け入れ在宅介護を白紙にしたのです。

 

5日の午前中までは旦那さんは退院できると思っていました。

 

5日の3時に旦那さんの姉、兄お姑さん、看護師さん、そして私の5人でどういう言葉で退院は出来ない事を伝えようか考えましょうと言う事になりました。

 

そんな中、看護師さんから

「昨夜、痙攣が起きて本人が少し不安に感じているんですよ。あとで本人に伝える時に先生も来て頂いて納得してもらうのが一番だと思います。」

 

と言われました。

 

退院が延期派(姉、お姑さん、私)と、もう無くなった派(兄)に分かれましたが、延期と言う言い方にしましょうと看護師さんから言われ、兄は不服そうだったけど前者に決まりました。

 

旦那さんの部屋に全員戻ると、誰が最初に口を開くのかお互い沈黙・・・

すると旦那さんから

 「家のリフォームの時は兄貴に立ち合いお願いするな。ひな一人じゃ心もとないからさ。

  あとポータブルトイレの注文とかベッドの手配とかどうなってるんだ?」

と・・・

 

そして兄が

 

「15、16日の退院は無理かもよ。もう少し体調が安定してからの方がいいだろう?」

 

で看護師さん

 

「そうですね、痙攣も出始めているし、オシッコの量も少し減って来ちゃってるし、しばらくは介護タクシー使って短時間家に滞在するって言う外出の形をとりましょうよ。そうすれば猫ちゃん達にも会えるし (-∀-)イヒッ(`-ω-´)

 

すると旦那さんは苦笑いをして

 

「そうだよなぁ~ 痙攣がなぁ~」

 

そんな会話を間をあけながらしていると、主治医と別の看護師さんも来てくれて、今の病状が厳しい事を説明して旦那さんを納得させてくれました。

 

その日の夜には3回痙攣が来て、ついに点滴で痙攣を抑える頓服をベッドサイドに常設する事になりました。

 

 

7日の夜に病院に行った時に、亡くなった娘とかぶる看護師ミヤちゃんに

 

「少し早めに猫ちゃんに会わせてあげた方がいいかも・・・」

 

といわれ、猫好きなミヤちゃんにも会えるように12日の夕方に末っ子暴れん坊猫のシジミを連れて行く事になりました。

 

昨日の8日に旦那さんから

 

「お前は15、16日の退院は無理なの知っていたのか?」

 

と聞かれ、暴言で心が折れた事は言わず

 

「容態が思ったより悪くて、無理だろうって言われてた。介護保険適用申請も市役所からなんにも音沙汰ないし」

 

すると旦那さんから思いがけない言葉が・・・

 

「俺も無理だと思ってたんだ。目標にしていたトイレに移乗して用たしをする事がまだ出来ていない。俺は瘦せたとは言え背もデカいし体重も50k切ったけど、膝の悪いお前にはオムツ換えとか出来ないだろうって思っていた。」

 

ですって (・・*)+++

 

旦那さんには申し訳ないけど、なんだか心が軽くなった。

そしてこの緩和病棟のこの個室を第二の自宅として使わせて頂く事に決めました。

毎日とはいかないけど、会社の帰りに一度家によって猫にご飯をあげて、私はコンビニ弁当を買い、第二の自宅で旦那さんと夕食を摂る事にしました。

 

今日のお昼は、サラリーマン時代を思い出して《のり弁》が食べたいそうです。

 

昨日の面会の後、美味しい白身魚を求め辻堂テラスモールへ車を飛ばし、鰆をゲット 魚

ちくわも青のりつけて揚げて、ホットモット越えを狙います。

 

 

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