子どもの知的障害が分かったとき、旦那が言ったことに1つ引っかかっていることがあって。

障害者雇用(三年で終わるけど…)で雇われても、最低時給しかもらえないよ、と。年収200万にもならないよ、それじゃあ、独り立ちも出来ないし結婚もできやしないよ、(だから何とかしてでも知的障害を治したい)と。


だけどなんだろう、成人しても、全体的な能力の平均が10歳くらいになるであろう息子にとって、「結婚」ってそもそも理解できるのかな、って。
もちろん、すきな人くらいは出来るし、その人とずっと一緒にいたいという気持ちを持つこともあるだろうけれど、
その人と家庭を作り責任をとろう、みたいな難しいことを理解した上でやりたい、と思うレベルにそもそもなるんだろうか。

そもそも幸せってなんだろう、って思った時に、思い浮かぶのは、
マズローの欲求段階説の図(↑これ)。

たぶん、日本が今のままのバランスでなんとかいってくれれば、下から2番目までは、全ての国民に保証されてる。
うちの子は中軽度だから障害年金はもともと貰える見込みが無いけど。まぁ野垂れ死にするようなことはたぶんない。

問題は上三つだ。

要は、一番大事なのは、
自分の能力に見合った仕事をして、そのことによって周りから認められ仲間を作り、そのことによって、満たされる。
ここが満たされるかどうかが、たぶん大体の人にとっての課題なんじゃないかな、って思う。

仕事がなくて、辛いのは、その仕事が本来ならできる能力があるのに、不況で仕事がない、田舎で仕事がない、病気にかかって出来ない、子どもを預かってくれる設備が足りなくて出来ない、だからみんな困ってるし嘆いているわけで。
医者になれるほどの知能があるのに、本人も医者になってバリバリ人の命を救いたいのに、金がなくて医者になれないとしたら、それは嘆くだろう。

でも、私なんかがもし、神様に医師免許あげるよ、さぁさぁ、この大病院で患者治して!とか言われたら全力で逃げるわけで。

つまり自分の能力に見合って、かつ、自分の心身を損なわない程度に、興味のある仕事が出来れば、全ての人にとってベスト。

趣味もそうだね。
お金をふんだんにもらって、神様に「あなたの趣味乗馬にして」とか言われても私には無理だから。

そして社会っていうのは、小学生レベルの能力でも出来るような仕事がたくさんある。
むしろそっちが大半。

一部のハイソサエティなセレブなスタバでiBook叩いてるおじさんの事なんて関係ないのだ。

フードコートのテーブルを1日中ただ拭いてまわって、仲間とお疲れ様をして。帰宅して、ラーメン食べながらテレビを見る。そんなささやかな暮らしでいいのだ。


それならば。

親が生きている間にやれることは、
マズローの下二つをちゃんと満たしてやりながら、子どもの能力に見合った環境を選んで、得意な能力を伸ばしてあげて、
親が死んだ後も社会の中でささやかに、だけどちゃんと幸せを感じながら、生きていける力をつけさせてやること。

障害があるとかないとかそんなのは関係ないのだ、たぶん。


私は小学生がやるようなゲームをやって過ごしてて別に惨めだと思ったことないぞ!
Pokémon GOは面白いぞ!