人はみな誰もが大変な人生を
自転車操業で生きています。
自転車操業とはこぐのを止めると
転んでしまうのです。
だから転ばない様に、
自分を支えるものを
持つしかないのです。
実は仏法は温厚で逃げ道があり
裁きがありません。
ただそこに必要な基準として戒が存在します。
この戒の働きは生きる喜びを
管理すること。
また喜びを野放しにしないことなのです。
この戒を守ることは自分の身と
生活と心を守ることにつながります。
でも戒を無視し
自分の行情が悪ければ
自分の煩悩に火がつきます。
そしてその業の炎で
自分の身も心も人生も
燃やし尽くすのです。
いいですか、煩悩の火は最初は小さくても、
大きく燃えあがる可能性があります。
だから火の大きさを見ないで
火種と薪を見るのです。
行状を正せば火種は消えるし
薪が煩悩の業火によって
燃えることもありません。
悪しきを止め善きを行う。
戒を持し身を律する。
この行いが出来なければ
仏法ではありません。
このとき自分の因子や
行状が変わるように祈る。
この命を味わう生き方をする。
そしてあたりまえを
当り前にやっていく。
戒を持つと運命の軌道が変わります。
それは煩悩の火が消えたあと
智恵の光が輝くからなのです。
これが自転車操業の人生でも
転ばない方法なのです。
※観音経は煩悩が静まるお経です。だから煩悩を超える。と師に教えていただきました。
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仏教 の教えと心理学で運命をデザインする

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