何で、色々と勉強をしようとしてるんだろ?
評価されたいから。

何で、評価されたいんだろ?
ちやほやされたいから。

何で、ちやほやされたいんだろ?
嬉しいから。

何で、嬉しいんだろ?
自分が在ると思えるから。

何で、自分が在ると思いたいんだろ?
無いと思っているから。

何で、無いと思ってるんだろ?
自分だけの評価じゃ自信がないから。

何で、自分だけの評価じゃ自信がないんだろ?
はっきりとした形になってないから。

何で、はっきりとした形になってないんだろ?
はっきりとした形にしても、ひとりよがりだったりして、使いものにならないから。

何で、はっきりとした形にしても、ひとりよがりだったりして、使いものにならないんだろ。

ってとこで、
これを思い出した。


やりたいことっていうのは、自分の内側の、
自分が求める世界観を形にしたいっていう思いでしかない。

…

それと同じようなもので、編集者になろうが、
お医者さんになろうが、それは与えられた記号なのね、
記号の中に盛り込まれている自分の世界が、ある意味で見えてこない限りは、
私は、大それて「好きなことやってます」なんて言えないんじゃないか、
そういう気がしてしかたがないの。

…

私だって、自分がいいと思っている世界を提示したって、
社会が認めてくれないっていう現実があったりするわけでしょ。
それは、現実なのよ。
だけど他者と向き合うってことで、
いかに、私が思い描く世界と外側に広がっている世界を自分なりに、
あきらめないでつないでいくかってことにしか、
現世で生きてる意味はない。
おもしろさもない。
それがめんどうなのであれば、
あの世に行ってつくればいいわけでね。。
そうじゃなかったら、
自分でこれが絶対いいんだと信じてやる。
それもひとつの現世に対するアクセスだと思う。

…



それで、これ。


<自分が好きなことが必ずどこかにあって、自分がそれにふさわしい才能を持ってるっていうふうに思い込んでしまった段階から、なにかこう、「他者」とのつながりを断ち切ってしまうようなところもあるとおもうの。>

…

「才能をあまりに個人に結びつけすぎるのも考えものです。」

…

<だれにも個性があって、だれにも能力が与えられている、なんてことに、期待しすぎてはだめ。それは、絶対あるとも言えないし、絶対ないとも言えない。>

…

「才能は自分の中になく、社会の中にある。」
「才能は自分の中になく、他者の中にある。」

いったん、こう極論してしまったらどうか?
すごく、極端だけど、何が見えてくるだろうか?

自分の中にもともと個性はない。
自分の中にもともと才能はない、としてみる。
自分の個性は、人に出会って、関わって、
自分の価値をみとめた相手の中にあると考えてみる。





よく読むとごっちゃになってた。
理想像と才能の話で全く別の話だ。



やり抜くって重要だけど、
やり抜いたら期待通りになるわけではなく
思い通りにならない社会ってものがあるわけで。


やれることは?
やり抜くこと。周囲を注意深く見ること。
だけ。




自分を変えること。進化し続けること。
また原点に帰れた。よかった。





それと、統計学の漫画を見てて、
ヒストグラムが出てた。

入場者の平均年齢が28歳の遊園地。

でも実際は子供と老人しかいない遊園地。って話。


何でも数字だけ見ればいいってもんじゃないね。当たり前だけど。
数字数字ってなってたところだったな。
何の意味があるのか考えないと。


考える。って言葉が最近好きだ。