現代の”生き仏”と称される天台宗の大阿闍梨、酒井雄哉さんの悟りに「一日を一生として生きる」というのがある
「一日一生」
んっ?いったいどういうこと?![]()
本を読んでみると、朝起きるときを生まれた時と考え、夜眠るときを死ぬ時と考える
一日の時間を一生の時間ととらえて、生きるということのようだ
今日、この一生が始まり終わるのだから、今のこの時間は無駄にできない
夜眠るときに、布団の中で「あ~ 今日という一生を生き切ったな~」と眠りにつくのだ![]()
要するに、夜眠るときに自分の今日という一生を振り返り、悔いのない人生だったと眠れるかどうかが大切。。。ってことかな![]()

明日の朝には、また次の一生の時間になるので、今日の心配事を明日に持ち越すことはない
明日、また生まれてその一生を生き切ればいいのだ
という生き方だ
「大丈夫、明日はまた、新しい人生が生まれてくるから」![]()
という数知れない荒行をこなしてこられた酒井氏の悟りの言葉に
なんともいえない安心感と
そっか。。。
そうやって生きていくことは、大きな智慧なんだと気づいた![]()

今日という一生を私たちはどう生き、どう過ごすのか![]()
そして、また明日という一生を私はどう生きるのか![]()
今を懸命に、今を愛しく、今を大切に生きればいいのかな
私たちの一生の時間は、人間の目から見れば、長く与えられていると思っているけれど、酒井氏の言われる仏様の目から見れば、一日を一生として生きるその時間と私たちの一生の時間は、同じなのかもしれないなと思ったのでした![]()


Hiro