最近私は漠然と私の中の形のないもの
についてもう一歩踏み込んで捉えられないかなと
無意識に考えてきました。
人は大体4種類の自分の言葉を話します。
勿論「私の感覚では」ですよ^^
頭脳と肉体と心と命です。
分断されているわけではなくどこを中心として今話しているか。
ということです。
人はこれを意識せずにまぜこぜに普段話しているのが
私には聞こえます。
例えば自分が言葉を発していて、
「何故私は女なのに男のふりをしなきゃいけないんだろう」
と言ったとします。
これは私が心や気持ちに立って放った言葉です。
「まあそうは言っても生きていくんだしこのように捉えて収めよう」
これは頭脳に立っています。
「ところででもおなかすいたなあ」
とここで身体が話します。
そして、なんか食べよっとと「動く私」。
これが命の私です。
みんなごちゃまぜに話してるでしょ?貴方も。
全部を「私」と普通に言っています。
意識してみたならば。
この4つは私は普段いつも今自分がどこに立っているかを
無意識にも意識して生きています。
で。
私がずいぶん前から知りたいなと思っていたのは、
「命」「魂(SOUL)」「霊性(SPIRIT)」
この違いです。
これは私の中のどれにあたるのかずっと考えてきました。
別の言葉があるからには、それは別のものか別の視点や捉え方だからです。
最近自分の心だけでなく身体もまあ女性として自覚出来る
ようになってきてみて少しわかったことがあります。
「命」
これは以前にもパソコンの例に例えましたが電源に充当するものです。
そして私たちが有機体として人で言う「生きている」といううちには
当人は自分は命があって生きていると自覚できるものです。
只本当は違います。
電源の例にもあるように、それは宇宙の森羅万象にあり
それは有って消えることもなく、形を変えて流動しているだけのものです。
貴方が「私」と言っているのは「命」ではなく
貴方の「意識」です。自分って言う場合は「意識」と「身体」です。
身体は死んだら消えるのではありません。別の物質に変わるのです。
焼き場で死体を焼いたら、簡単に言うと
熱エネルギーと灰と煙を構成する物質へと変わるだけなのです。
なのでつまり貴方が自分の「死」と言っているのは、
貴方の「意識」と「あなたの形で今形になっている身体(物質)」
が継続されなくなってしまう。ということです。
それはそうです。
でもそれは「命」ではありません。
「命」というのは宇宙のすべての一つの流動です。
そうですね~ 例えばインターネットというものの全体を命に例えるなら
只今繋いでいるPCのインターフェイス
それが「貴方」というものです。一般的には「貴方の命」と言いますが、
「貴方のパソコン(身体)」とは言うことがあるにせよ、
「貴方のインターネット」と言う人は居ないでしょう(笑)
それと同じです。
ちょっと話がずれましたね。
それで。
私が最近わかったことは(知覚、自覚出来たことは)
「命」とは身体にあるんだということでした。
当たり前なんですけど、
「わかっている」ということは知識として知っているということでは
ありません。
「わかっている」というのは身を以て知っているということです。
私は初めて自覚しました。
そして私はこのように自分の中では捉えました。
「命」
それは私という形が生まれたが故に
私に宿っていると私が意識できるもの。
しかしそれは真実ではなく、私の周りにある空気も
目に見える家も、空も、山も全部でひとつのものであります。
宇宙全部でひとつのもの。
「霊性(SPIRIT)」
これは上のことを私が意識出来ること、意識できる時、
その意識そのものを指すものだと思います。
そしてさてでは「魂(SOUL)」
全ての二つに分けることの出来るものには中間地点があります。
わかりますよね?
私はずっとずっと何十年も私の心と体と呼んでいるものを
ばらばらに考えてきました。
しかしつい先日、命とは身体の存在であるとも自覚しました。
では、私の「心(意識、思考)」と「命(身体)」の中間地点は?
と問うたとき、
私はその地点を既に自分は知っていることに気が付きました。
その場所に私が立つとき、その場所。
それが私の中で「魂(SOUL)」と呼ぶもの、私の「魂」。
そして私はまた次の作品へと取り組みはじめました♪
平沢唯愛こと、五嶋唯愛