国民は主権者
なんとなく言葉だけが虚しく響く今日この頃
一部の国民が主権者、わかりやすく言えば特権階級とか上級国民
これなら多くの人々が納得できるのではないだろうか。
名ばかりの主権者、大多数の国民が預貯金もなく、慎ましい暮らしを強いられている。
しかし、どうだろう
一国の元首、例えば大統領が慎ましい暮らしをしていたら
多くの人々は称賛するのではないだろうか。
であるならば、名ばかりの主権者が質素な暮らしをして
欲しがりません死ぬまではの耐乏生活を送ることは何故称賛に値しないのだろう。
前者は選択によりそうしているのに対し、後者はそうせざるを得ないという違いによるのだろうか。
だとしたら、そうせざるを得ないのではなく、狭いながらも楽しい我が家的な発想で
金銭的物質的には豊かではないが、心は錦と胸を貼って堂々と生きていれば
自身の内面から自信が湧き出すのではないだろうか。
もちろん、そのような思想な庶民の増加は浪費社会を構築して国民を搾取して富を得る偽りの主権者にとっては肯定しがたいことなので
全力でそのような思想は結局負け犬の遠吠えと卑下して潰しにかかることになることが予想される。
庶民は
浪費したら負けです。
まあ、浪費と消費のボーダーは、負債の有無だろうか。