ペット愛
金魚の様子がおかしいと心配する、今夜のおかずはサバの味噌煮
サバは自分のペットじゃないから関係ない、食べてあげた方がサバも本望とか
犬の具合が悪いからと獣医へ、外は寒いからと毛皮のコートを着用。
うちの犬はほかの動物と違うんです。
ペットの小鳥は大事にするが、フライドチキンになった鶏の命を鑑みることはない。
結局、ペットであることが動物を特別な存在にしてしまう。
ペットは家族なのだ。
これが他人のペットであっても、飼えなくなったから殺処分してもらうと聞けば
哀れな動物に同情し飼い主を非難したくなるのではないだろうか。
その反面、牛丼屋、ハンバーガー屋、すし屋等々で殺戮された動物を食べている人々を非難する人々はまだ少数派だ。
人類という種が今日まで生き長らえてこられたのは、知性によって他の動物の命を奪って生きる糧としてきたからだ。
動物を殺戮して食べる行為の否定は人類の存在の否定と言っても過言ではない。
そういえば、野生のクジラの捕獲はダメで飼育された牛なら殺してもいいという白人の理論もあった。
その理屈の延長が自国民を守るという大義で他国民を殺戮する侵略戦争。
奪われる命はペット以下の扱いをされる。なぜなら、他国民は家族ではないから
2024年も核戦争のない平和な1年になりますように。