今ブログを書いていて、ついに戦争がなくならない根本原因がわかりました。
いままでは、貪欲とか資本主義とかいろいろ考えていたが、それよりももっと身近なところにそれがあったのです。
もうすぐ12月だというのに107㏄エンジンを搭載したリトルカブで走っていても寒さを全く感じなかった。
信号待ちで停止してると、着こんでいる防寒着では暑すぎたくらいだ。
暖かいのでちょっと遠回りして業務用スーパーへ立ち寄った。
先日取り付けたリヤボックスを使いたかったというのは秘密です。( ´∀` )
そういえば、ダイスカットされたトマトの水煮缶を買いました。
トマトの水煮缶は世界の闇が縮図のように凝縮されているようで、できるだけ購入を避けてはいるだが
全て国産野菜の生トマトで代用するほど、本気で避けているわけではない。問題は感じはするが、行動力を伴わい偽善。
結局、東トルキスタンで共産党政権の民族浄化という究極の人権弾圧の犠牲となり、強制労働により心身共に搾取されている少数民族ウイグル人のことを心配して、志那共産党絶対許せん!と憤ってはいるが、それは上辺の自分だけで、実際には目の前にイタリア産と明示された製品があれば、原材料が何処からどのようにしてやってきたかを見て見ぬふりをして購入して人権弾圧に加担してしまう。
なんてことはない、こういう風に他人の苦しみという犠牲を自分の恩恵にするという選択をして善人ずらしてのうのうと生きている人間がいるから戦争がいつまでたってもなくならないのだ。
そう、資本主義社会に生きるほぼ全ての人類が戦争加担者なのだ。
別に悪いのは自分だけではないと強調したいわけではないが、生きていると知らぬところで犠牲になっている人々がいる。
非常に残念な話ではあるが、人に迷惑かけないで生きるというのは、今日の社会ではできないことなのだ。
とある駐車場にて