このブログで一人でいると、記憶は残るが思い出は皆無
そんな内容のことをたまに書いていると思うが、ごく稀なケースで捨てられているゴミとの出会いが思い出になることもあった。
記憶が正しければ、ペルーのリマという街を早朝歩いていた時のこと。
早朝に歩くということは、バスか列車でその町にその時間に到着したあてもなくさまよっていた可能性が高い。
歩道の隅にどことなく古めかしいゴミの山
あれ、なんか見覚えのあるレトロ感だなぁ
それもそのはず、それらのゴミは古めかしい日本製品
年代は正確にはわからないが、かなりの量のレコード盤の山もあった。
今のレコードとは材質が異なる多分エボナイト製のもの。
移民一世の本人にとっては、心の拠り所になっていた母国から持ち込んだ品もこんな風に捨てられてしまうのか
なんだか、人の一生のはかなさのようなものを感じた。
あまりにも忍びないので、レコードを一枚日本に持って帰ろうと思って手にすると
かなり昔の歌手の名前ラベルに刻まれていた、しかしそのレコードは他の当時他のバックパッカーに荷物それだけですか、もしかして全部盗まれたれちゃったんですか?と言われるほど、軽装備で移動をしていた自分には大きく、そして重すぎたので残念。
当時は思い出はすべて記憶に残ると、カメラさえ持ち歩いていなかったが、たしかに今でもそれらの思い出は鮮明に脳内の引き出しに収納されている。
この思い出も、考えようによっては、他界した日本人移民一世の人生を勝手な想像で構築したので、一人ではなかったのかもしれない。
余談
最近、日本で介護職に従事している人々が海外で働いた方が、同じ業務で賃金が4~5倍になるとかで日本を離脱しているという。
歴史は繰り返すということなのだろうか。