1965年に発表されたフェラーリの第一世代のミッドエンジンスポーツカー ディノ206GT / 246GT。 

素晴らしい車だったが、エキゾチックと呼ぶには小型で非力過ぎた。

1970年代から1980年代にかけて、スーパーカーの世界はミッドシップマウントエンジンへと移行し人気を博していた。

市販は1968~74年

 

1968年から1973年まで製造

フロントエンジンリアドライブのレイアウトを持つフェラーリ365GTB/4 デイトナがいかに素晴らしくても

 

1966~1973年まで生産。近代的レイアウトのランボルギーニ・ミウラに匹敵するエキゾチックなイメージには敵わない。 

 

 

マセラティは、ミッドシップエンジンのグランドツアラーであるボラで戦線に参入。

1971年発表、同年から1978年まで生産

 

 

市販は1974年から1990年まで

 

 

 

 同年、ランボルギーニはジュネーブのモーターショーでプロトタイプカウンタックを展示し、世界を驚嘆させた。

ドアを開けると更にかっこよくなる車といえばカウンタック! 

 

どうやら、フェラーリはそのスポーツカーの帝国を守るために迅速に対抗策を打つ必然性に迫られた。

 

 

開発開始が1969年 大急ぎで1971年に発表するも完成までに時間を要し

市販開始は1973年

 

フェラーリが大型ミッドシップスポーツカー市場に出遅れた理由は今で言う「老害」によるものかもしれない

フェラーリの創設者であるエンツォフェラーリ(Enzo Ferrari)は素人のドライバーが扱うにはミッドシップレイアウトではハンドリンが困難という持論があり、技術者がミッドシップエンジン導入を説得するのに時間がかかったからだと言われている。

 

フェラーリ 365GT4BB ベルリネッタボクサー 通称BB(ビービー)

365は一気筒当たりの排気量365ccから

4はDOHCV型180度エンジンの片バンク2本で計4本となるカムシャフトの本数

 

のちに排気量アップされたモデルは512BB 

512は総排気量5リッターの12気筒エンジンから

 

フラットエンジンの最大のメリットは重心位置を低くできることなのだが

このフェラーリはギアボックスの上にエンジンを配置しているのでそのメリットはまったく生かせていない。

その結果この車はモータースポーツにおいて大活躍した先代のデイトナのような脚光を浴びることはなかった。

 

 

F1マシンのようにエンジンの後ろにギアボックスを配置にしなかった理由を推測すると

キャビン居住性にも配慮した。

またエンジン後方にギアボックスを配置した場合運転席をかなり前方に移動させることになる。その結果居住性と共に昔ながらの美しいロングノーズボディ的なデザインは実現できない。要は街乗りの快適さと外見の美しさを優先させた結果だと思う。

それともただ単にホイールペースを短縮し旋回性能を確保したかったのか、まあそんなところだろう。