屋内で余分なカロリーを消費するために祈る私が知る限りにおいて 能力だけを費やしてどこへも行くことができない変な乗り物。

 

昨日これにスマホホルダーを取り付けて YouTube でも見ながら 運動をすれば一石二鳥じゃないかと思いついた。

 

もう運動をしながら YouTube を見るのか YouTube を見ながら運動するのか それは何とも言えないところではあるが…

 

メーターの300というのは300キロカロリーを消費したという意味である。

 

 

 

 

 

心肺機能が低下しているせいで100キロカロリーを消費した辺りから息が上がってくる。

 それと同時に みうらじゅんさんという方が講演している内容がこれっぽっちも頭に入ってこなくなる。

なんというのだろう自分の呼吸や足の筋肉を使うことに 神経を集中して それだけで精一杯という感じだった。

 

画面を見ようにも見る気がしないと言ったら良いのだろうか

それよりも今自分が時速何 km で走っているかとか走行距離は今何キロであるとか消費カロリーは何カロリーであるかそのことばかりが気になってしまう。

 

 

何々しながら何々をやると 一石二鳥であるかのような 考えを持っていたが 余裕がないことをやると二つのことが同時にできない。

 

そういえば一向に上達しないギターの練習も ラジオを聴きなら やってみたこともあるが ラジオのアナウンサーが話している内容がノイズと してしか認識できずうるさくてうるさくて思わずラジオを止めたこともある。

 

 

何々しながら何々をする

ラジオを聴きながら運転をする くらいのこと が人間の限界なのではないだろうか。

 

子供の頃テレビを見ながらご飯を食べていたが 今思うとあれなのも決して消化のためには良くなかったのかもしれない。

 

 

一応タイトルに考察と書いてしまったので ここで無理やり結論に繋げよう。

 

ながらでできることには限界がある。

分かっている人にとってはそんなの当たり前という結論かもしれないが(笑)