時間というものは存在しない

ただそういう概念があるだけだ。


ただ物事は変化する、その変化の要因はものそのものにあるだけなのだが
いつのころからか人類はその要因があたかも時間にあるかのような錯覚みるようなってしまった。

過去から現在はそして未来

こういう概念は無意味である

ただ事物が変化しているだけなのだ。



時間がないからといって人が今いる状態に留まれるというわけではない

それは生命がもつ老化という現象があるからだ。

別に時間が経過するから老化するわけではない、生命とはそうなるような存在なだけだ。



物事の中には緩やかな変化しかない者も多々ある。

例えば恒星やもっと大きなスケールでいえば宇宙そのもののような存在だ。

ただそれはいわば耐久性の高い良質な商品のようなもので

いずれは劣化し消滅する。


そういう変化を
地球の公転や自転と結び付けて

時間という概念を発明したのが人類だ。


別に悪いことではない、時間という概念とそれに基づく統一された基準があればいろいろと合理的な判断ができるので日常生活を営む上では便利なのは事実なのだから。


とはいえ

時間そのものは、この宇宙には存在しない

何度も同じことを言うのもなんだが

時間は人類が便宜上策定したたんなる概念なのだ。



だから我々の住むこの世界は3次元空間に時間を加えた4次元だというのは

思い切り悪く言えば人口の概念である時間をあたかもそれが存在しうるかのように取り扱っている時点で空想やファンタジーといったジャンルに分別されるのだ。


時間があるから変化するのではなく

変化があるからそれを測る尺度として時間という概念を発明したのが人類なのだ。


そういう意味において

過去にさかのぼるタイムマシンというSFの産物は永遠にSF的世界の中でしか活躍できない面白ツールにしかすぎないのだ。

まあ人口冬眠技術が確立され200年間冬眠したあと啓蟄の日に目覚めたら、まあタイムマシンで未来に行ったのと同じような感覚にはなるだろう。まあ200年前に戻りたくても戻れませんが。


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