請負契約の仕事が終わってから約一か月間で次の仕事が見つかったことはラッキーだったと思う。

収入は低いがとりあえず社会人という肩書は手に入る。いや肩書というほど立派なものではない。
まあなんというのだろう、ニートとか引きこもりという状態はやはり世間からは肯定的にはうけいれられていないし、なによりも自分自身でもニートとか失業中という状態をやみくもに継続することには否定的だ。

多分自宅にいても毎月適切な収入でもあればよいのだろうが、残念ながら今の自分にはそういう能力は備わっていない。


新しい仕事を収入という面から捉えると底辺とか貧困という範疇に入ることになるが、それはまた後程考えることにしよう。

実際には考えるも何も答えはでている。
自分でそういう道を選択したのだからその部分についてはある種の割り切りが必要だ。


よく言われていることに幸せという言葉がある。

いい暮らしという言葉もある。

いい暮らしにはお金がいる。


幸せの追求を否定するつもりは毛頭ない。幸福の希求権は憲法で保障されているのだろうか?

いい暮らし、豊かな暮らしについても同様だ。

しかし、幸せやいい暮らしと所得が高低が比例しているかといえばそれには懐疑的にならざるを得ない。

それこそ世間からみたら貧困という区分に属する人でも幸せな日々を送っている人もいるだろうし、その逆もまたしかしである。


ただ一つだけ注意してほしいことがある。

いい暮らしがあたかも物質的に豊かな暮らしであるかのような扇動だ。そう洗脳されているといってもいいかもしれない。



果たしてそうなのだろうか?

今自分が信じていることについてもう一度距離を置いてそれを信じる根拠について考えてほしい。


これから初出勤だというのに朝からすいません。


ちなみに今度の仕事は9時出勤なので朝から余裕があります。




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