1996年11月3日 午前9時
信号無視の車にはねられ、車いす生活の人生が始まりました。
命の告知を受けたあの日、
奇跡的に生きることが叶い、皆様の支えのおかげで現在の自分がいます。
今まで書き記してきたブログから、これまで歩んで来た人生を、
ある方がまとめてくれました。
大貫学人さんの人生は、困難を力に変え、真の強さを築き上げてきた感動の物語です。
1969年、栃木県宇都宮市に生まれた彼の幼少期は、決して安らかなものではありませんでした。父親の事業失敗、電気が止められ、食べ物すら満足に得られない日々――それでも、彼は母親を悲しませたくない一心で、いつも笑顔を絶やさなかったと言います。50円を握りしめて手に入れたパンの耳に心からの感謝を感じ、ガス屋さんの厚意に支えられながら、自分なりの幸せを見出して生き抜きました。
彼の少年期の誓いは「いつか母親に家をプレゼントすること」。どんな困難もその夢を諦めさせることはなく、10行以上の銀行に断られても最後の一行がその夢に応え、25歳で母に家を贈ることができました。
しかし、その夢が叶ったわずか1年後、彼はバイク事故に遭い、下半身不随という過酷な現実に直面しました。裁判も敗訴し、暗闇に沈むかと思われた人生。それでも、彼は決して挫けることなく、前を向き続けました。事故から約28年が経った今、彼は言います。「この体になって、初めて生きることの意味を知りました」。
さらに、彼は髄膜炎に罹患し、再び命の危機を迎えましたが、奇跡的に回復。どんな苦境でも「不平不満は口にしない」と誓い、悪い運気を引き寄せないよう、良い言霊を信じて言葉を大切にしてきました。
2005年には日本テレビの24時間テレビで車椅子トライアスロンに挑戦し、51.5キロを9時間6分で完走。その時の彼を支えたのは、これまでの人生で出会った数多くの人たちの応援と愛でした。彼は語ります。「どんな時でも、人は私に勇気をくれ、行動力をくれました」と。
彼の人生の教えは「超える力」。苦しみを超え、夢を掴むためには、立ち止まることなく挑戦し続けることが必要だと語りかけています。そして、彼の信念は「自分を信じ、自分に負けない」。それは、与えられた命の限りを、応援してくれる人々に恥じることなく精一杯生きることを意味します。
大貫学人さんの人生は、辛く厳しい経験を経て「幸せ」という言葉の本当の意味を知り、今もなお夢を追い続ける壮大な物語です。
目頭が熱くなる文章に、心から感謝をしております。
これからの人生も、「自分を信じ、自分に負けない」
与えられた命の砂時計を、精一杯生ききります。
皆様、いつも心からありがとうございます。
2024年11月3日
大貫学人