私が、去年ある編集社にあるコンテストに応募した作品をブログ上に残していきたいと思います。
良かったら読んで下さい。
題名⭐️⭐️⭐️次女。学校いかないってよ。
2018年の幕があけてすぐのこと。(明日から学校行かない。)という次女からの一言から今までの私の子育ての概念がひっくり返っていく。
(行かない)宣言をした日の夜の彼女のラインのひとコメには、(あんなストレスのたまるところ、二度と行かない。)と書かれていた。
その一言を見る一ヶ月ほど前から次女は、五月雨登校だった。朝起きてはくるが、その後なかなか動けない。そんな日が何日か繰り返されるたび私は、行かせなければ…という親のエゴという訳のわからない正義感でいっぱいだった様に記憶している。
(学校は行くもの)というのが私の世界での常識であり、体の具合が悪くないのに行かないという選択は私の世界では許す事が出来なかった。その反面、その頃の私は、不登校カウンセラーになろうと考えていたのだ。そのため、不登校の子を持つお母さん達のブログを読み漁っていた時期でもあった。
不思議と自分の夢と我が子の不登校の兆しがリンクしていた。正直ブログを読んで不登校の子供の親の気持ちは分かっていたつもりだったが、いざ自分の子供から現実として自分の目の前に不登校の現実が表れても受け止める事の難しさといったら言葉では語れるものではなかった。
五月雨登校時、次女を起こし着替える事を促す。一つ一つの行動に一喜一憂。(起きた。良かった。)(着替えている。良かった。)(顔洗っている。良かった。)(あとは靴を履くだけだ…)と毎朝この繰り返し。どこで充電が切れてしまうかとハラハラしながら見守っている私がそこにはいた。
毎朝、その時間が憂鬱だった。
そんな次女からの(明日から学校行かない)のひとことに私は、色々な想いが交錯した。
(次女が行きたくない程に苦しんでいるなら、そんな場所行かなくていい。)という私と、(学校は行くものでしょ?嫌だから行かないのは、ただのわがままだ!)の私がいた。
その頃の私は、どうしたらいいかまったくわからなかった。手探りの私に、私の親、主人ともに正論を並べてくる日々にうんざりしていた。うんざりというよりも、もしかしたら不登校になったのは、母親である私が悪いと責められている様な気持ちにさえなっていた。
続く
ここまでは、私自身まだ次女が不登校をしている事を受け止める前での出来事です。
私は、不登校をあの頃は受け止めなくては…でも…
の繰り返しでした。
今現在は、明るい不登校って言ってるけど、辛い時期もありました。
あと数回に分けて書かせて貰います。
お読み頂きありがとうございました😊