NHK大河ドラマ 江 の信長像について思ったことを書きます。
信長が森蘭丸に、「自分のあとを継ぐのはヤツ(明智光秀)しかいない」と語る場面が出てきました。
あくまでもドラマなので、目くじら立てても仕方がないのですが、実際とはかなり乖離していると思いました。
謀反の決意をする前に明智光秀の頭のなかにあったものの一つは、佐久間信盛の処置ではないかと思います。
佐久間信盛は、柴田勝家より古い重臣といえます。
桶狭間も善昭寺砦で戦っていますし、姉川の合戦でも7千の兵力を任されています。
伊勢長島攻め、長篠の戦にも従軍し、
石山本願寺攻めには総司令官となった。
しかし、石山本願寺攻めの不手際や茶会への傾倒をせめられ、
子の信栄とともに高野山に追放され、さらに十津川まで流浪して、天正9年7月に没しました。
それから、1年もたたないうちに本能寺の変が起こったのです。
信盛は、反乱を起こしたわけでもなく、命令に違反したわけでもなく、「信長が気に入らない」から、「使い捨て」にされたわけです。
信長が光秀のことを、「自分のあとを継ぐのはヤツ(明智光秀)しかいない」と考えていたとは思えません。
信長からみれば、勝家も光秀も信盛も、もちろん秀吉も、信長の家来だったから、そこそこの身代となったわけで、彼らがそれ程優れているとは、思わなかったでしょう。
突出したカリスマリーダーは、時として自分のイメージ通り動かない部下を発作的に嫌うことがあるものです。宿老佐久間信盛の追放は、織田家中を暗い雰囲気にしたのだと思います。