こちらの続きです👇

「自分軸」になるか「他人軸」になるか
その違いは

やらなきゃならないことが山積みの世界で

自分の感じたことを

聞いてるか無視してるか


で生まれてきます。



多くは子供の頃の経験で

何かモヤッとした引っかかりを感じたときの
対処法が思考パターンとして定着することで

どちらの軸の傾向が強いかが決まります。
パキッと分かれる事ばかりではなくグラデーションがあります



私の場合はすぐ怒鳴る怖い父と

その他もろもろ環境とか自分の質とかによって



自分の引っかかり、想いうんぬんよりも


そもそも怒らせたくないし

怒られないことの方が大事だし

表面的でも笑って平和に過ごしたいし

怒られてまで自分の想いが大事なものとも思えないし



そんな


優しさ弱さ気配り怠慢

私はすっかり「他人軸」で生きるようになりました。



大人になってもそれが続いていき

十何年も経った頃には

現実的にも気持ち的にも人生がつまんなくなっていったのです。




ちょっと長くなったんで甘いものでも食べて休憩しましょっか




なぜ私たちはつい「他人軸」になるのか?



その答えは


感じたことを無視して無自覚に過ごす方が

何かと都合良く感じる場面が多々あるから


です。




なんせ忙しいし

情報過多だし

正解とか成功とか追っかけなきゃだし


そんな中で


日々日々生まれる引っかかりに

向き合って取捨選択していく道は


摩擦や衝突が多いし

「この道は正しいのか?」の不安が付きまといます。




そう思うと、無自覚になんとなくで過ごすことは
ある意味、自分を守ってるとも言えるのです。



「他人軸」はダメなんてこともないんですよ。
それもひとつの在り方です。

その方が生きやすいと感じる場面もあり
なんなら他人にとってはめちゃくちゃありがたい存在ですから

むしろ重宝されることも多いです。



ただ生きにくいと感じる場面もあって
そっちが増えてきたのなら

軸を変えていく=自分ど真ん中の道を選んでいくタイミングがきたってことじゃないかなと思います😊




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