泥水の中に腰まで埋まってるような

身体に圧がかかって身動き取れない感じ。


動きたいのに身体が重くて

頑張っても頑張っても動かない。


抜け出したくても抜け出せない。


周りの人は軽々動いているのに

私だけ泥の圧で重くて足が動かない。





その泥水の正体は目の前の現実。




子であり

妻であり

母であり

社会人であり

システムエンジニア(SE)であり

3人のメンバーをまとめるリーダーである



そんな現実を変えないことには

この身体にまとわりつく泥水はなくならないと

思っていました。





だって、この現実である以上



"子である私"は親を安心させねばならず

"妻である私"は夫を立てねばならず

"母である私"は子供を真っ当に育てねばならず

"社会人である私"は真面目に働かねばならず

"SEである私"はシステムに詳しくなければならず

"リーダーである私"は

メンバーの失敗の責任を取らねばならないのだから。





そこから逃れるためにお金が欲しかった。



お金があれば

SEとリーダーはやめられるから。


社会人である時間と

母である時間を減らせるから。


親も安心するだろうから

子として親に心を砕く時間も短くなる。




全てをなくせる訳では無いけど

"何かである私"が減っていって


"ただの私"だけが残ったら


その瞬間はこの泥水が減るはずだから。

身体にかかる圧が軽くなるはずだから。






そう思って

重たい身体にむち打って泥水を掻き分けて

必死に動きました。



いろいろ試して

お金は増えなかったけど

 

"ただの私"である時間を増やすことはできました。





ああやっと、泥水から解放される!!

軽やかに動ける!!



つかの間の"ただの私"である時間は

想像以上に身体が軽く、羽が生えたようで


とても楽しくハッピーに過ごせました。






でも。



"ただの私"である時間は一瞬です。

あっという間に終わってしまう。


明日から、午後から、夜から

また"何かである私"に戻らなければならない。

泥水にズブズブと埋まらなくてはならない。




そして


"ただの私"である時間を過ごしていくうちに


"何かである私"から解放された

"ただの私"であることの喜びは徐々に薄れ



"ただの私"である私は

私らしく何かを成し遂げねばならない


でなければ

"何かである私"を放棄した意味が無い。


でも"ただの私"は何も成し遂げられない。




そんな現実を突き付けられて


"ただの私"である時間にも

泥水が溢れるようになりました。




どうあっても泥水の中なんだ。

もうこの泥水の中で生きていくしかないんだ。


明日も明後日もこの先ずっと


この泥水の中で

重たい身体を引きずっていくしかないんだ。






ものすごい絶望でした。


なんでこんな思いしてまで生きてくんだろ?

生きていかねばならないんだろう?


どうあってもこの苦しみから逃れられないという


夢も希望もありゃしない状態では



生きていくのが辛すぎる。








そんな感じ。



あなたのしんどかった頃を

もしくは今を言葉にすると、どんな感じですか?