もうすぐ母の日。母に何を買ってやろうか。今日母を施設から外出させて、そう思った。
母と会うのは外出時だけ。だいたい月三、四回。それでも多い方だそうだ。そのように別の介護施設で働く知り合いから聞いた。
母と一緒にいたときのストレスはないが、母がいない日常に慣れてしまっているから、母が膝の痛みを訴えることが気になるくらいで、意識しないと母の日を忘れてしまう。誕生日には帽子を買った。これから夏なので、夏用の帽子を買おうかと母に言ったら、「家を探すとあるかもしれん」と、いかにも物に執着しない母らしい答えが返ってきた。
とはいえ、月に何遍もない対面の時に、何か前回と違うことをして、母に刺激を与えて、とそんな事を考える。
母は相変わらずのようで、短期の記憶が少し悪くなったようだ。今日一緒にいた三時間ほどの中で、同じことを二度訊くことがあった。仕方がないと思うが、日常が刺激なく回っているのだろうかと想像する。ただ今の施設でやってもらっている以上のことは難しい。
それなりに、あるがままに、大病とけががなければ良しとしなければいけないんだろう。それと、もうすぐ車椅子オンリーになるのだろう。実家そばの整形医が言っていたように。
実家は常時人が住んでいないので、空き家である。私が毎日仕事で使っているから事業用の建物と言うこともできる。
母は、この家に帰ってくるとやっぱりほっとしている。ここが良かろと訊くと、「食事ば作れんけんね」と残念そうに言う。「こうして連れて帰ってもらえるから良か」とも言う。
そういう母の気持ちを考えると、実家の建物は、母がいる間はこのまま私が仕事で使い続けることが必要だ。
同級生などから、同じような相談が続いている。
完全に誰も住まなくなった家。子供たちがたまに集まる家。売りに出していて買い手がつくならまだよい方で、どうにもできず税金だけが掛かる家。街中から遠く、役所ももらってくれなさそうな家。
ずっと先の話で、私の家も誰も住み手がいなくなったら、どうするのがいいんだろうか?私がそれを考えていたほうがいいんだろうか?
究極の終活とは、たぶんこのことを言うんだろうと思う。(了)