ローリングストックを水で始めた。
500CCのペットボトル4本に水道水を詰めて、薬缶で湯を沸かすときはそれを使い、また水を詰めておく。それだけだが、つまり備えとはこういうことなんだろうと思う。
ただしそれだけの作業がかなり面倒に感じる。一日の終わりか始まりの時間帯でやっていて、次々に何かしている時間帯だからだろうか。他の物品での災害準備をすることに、まだ頭が回らない。ペットボトルの水は、先日までの寒さで、水道が凍結したらと考えた結果出てきた習慣だ。ゆうちゃみのCMはそれなりにヒントになりそうだ。
備えというのは、物だけじゃなく、人との関わり合いもあるだろう。
何かあった時に、隣人が助けてくれるという訳ではないが、隣人との関係を良好にしておくことは、万が一のときにスムーズに連携がとれることにつながると思う。
そういう意味で、いろんな気にそぐわないことがあったとしても、そうとげとげしないでおくのは重要だ。もしも相手がそういう感情になったとしても、らくだの舌がさぼてんのとげを気にしないように、ヌリカベがなんでもべちゃっと受け止めてしまうように、吸収してしまうといい。
できなそうで、なんとなく最近はできているような気がする。年齢のせいかとも思う。
母の施設は、期待以上に対応が確かで、とても安心した。そのことをケアマネさんに電話した。喜んでた。もちろん家族として我慢すべきところ、ルールに従うところはあるので従うんだけれども、対応に納得がいっていると、進んで従順になる。(本当はこちらの納得ということでもないのだが)いい感じで始まったと思う。
だから何かが起こったときにも、この施設に母を委ねていて良かったな、という方向に行くだろう。災害対策として充分だ。
地震から9年も経つが、記憶は生々しく残っている。震度7を体験した地域の人とはそれでも恐怖に差はあるが。
大切なのは、想像力。もしも再びということを、たまに余震があるたびに思い出す。考えすぎると「杞憂」となるが、備えはいくらしていても無駄にはならない。
ようかんを非常食に買っておこう。(了)