ややこしいことの多い正月。それは根本的な問題を忘れさせようとする配慮か。
悩むということは、生きている証なので、生きていることに感謝するとよい。母が下げている法語カレンダーにそういう意味のことが書いてある。そうだな、と思う。どんなに好ましくなくても、そういう感情を向ける先があるのは幸せだ。(いつも世界最後の人類になった場合と比較して考える)
さて今年は佐賀競馬場にも遠征したい。もう二十五年以上前、佐賀記念に友人と待ち合わせて行ったことを思い出す。ミツアキサイレンスが勝ったと思う。その友人も昨年亡くなってしまった。
交通費は往復で約五千円。片道二時間半程度かかるので、八時に家を出たら十一時のレースに間に合うかどうか。帰りは五時に出ると夕飯に遅刻する。三時頃で切り上げて帰らねばならない。そこまでして行ったものか。でもそれ以上の滞在は避けたほうがいい。
そんなことをずっと思っているから、二回しか行けていない。
小倉にも行こう。土曜なら帰りが遅くなっても構わない。とは行っても、往復一万円では足りない。
二の足を踏むけれど、競馬場に行けば、パドックで原石を発見する喜びがある。密かに貯めておこう。
仕事のやり方を、少し踏み出してみると、発見が多い。気づくと世間は他人の事に口を出さないようにしているんだな、のように思える。言って反発を食うのを恐れて、あまり何も言わないで、という傾向にあるようだ。
少しずつやり方を変えていくのは、そんな風潮に少し石を投じてみること。それで変わればいいことだ。リスクを考えすぎても仕方ない。実は失うものは何もないのである。
足はちびちび回復してきたので、明日走ってみよう。自分の主治医は自分である。右足の痛みがあっても、深刻ではない。左ふくらはぎが張っているが、走り方が改善されていけば張りは取れると思う。その判断は整骨院でも、整形外科でもなく、自分。
つまりは、いろんなことは、自分の判断を信じて突っ走ることで楽しくなっていく。そういうことだ。(了)