いらない書類をひもで結んで玄関におろしたら、かなりいい感じでかたづいた。書類の九割は一度も見ずにこうして棄ててしまう。
後から見ようとクリアーファイルに入れた書類も、結局見ることはなく棚の中のままだ。
これはとっておこうという書類も、日の目を見ることはごくまれだ。
こう書くと、本、レコードと同じだ。事務書類なんて毎日見るものは全体の一パーセントだろう。たぶん脳味噌だってそんな利用率だと思う。
つまり日常はごみをよけながら足の踏み場を探しているのとほとんど変わらない。
かたづけたぞっ、と今まで何回思ったことだろう。それは単に要らない中でも本当に要らない書類を棄てた直後だけだ。
パソコンの中も全く同じ。見るデータなんてほんの耳かき程度だ。
逆に考えよう。必要な書類、必要なものに当たるためには、いっぱい無駄を重ねないと本当に欲しいものには当たらない。そういうことだと思う。
今年の趣味におけるヒットは二つ。
一つはパク・キュヒのギターを生で聴けたこと。さんざん音楽を聴いてきて、ああすぐそばにパク・キュヒがいたんだ、と巡りあって数年。どんな時でも、光や人の声が刺さって外に出られないときでも、パク・キュヒのギターだけは聴くことができた。
難しいことなんか全く考えず、パク・キュヒのギターに浸かって聴いた。
もう一つはヤマニンウルス。目の前で立ち止まってみせた。あの立ち姿は本当に久しぶりに見る一流馬だった。このパドックはずっと忘れない。
もし音楽を初めて聴く、競馬を初めてみる、だったとしたら、こうまで心に残ることはない。
だから、無駄は無駄じゃない。
いろんな書類も、そうする理由がそれぞれにあって、手元に残ったものだ。本もレコードも、一冊一冊、一枚一枚に理由がある。
寺山修司が書いていたと思う。
「無駄がないということは、なんと無駄なことだろう。」(了)