手話の昔の仲間から連絡があった。毎週の作文メールを出してたので、つながってはいたんだなと思った。内容は、職場の人が手話の初心者向け講座を探しているので知りませんか?というもの。確かに私は永遠の初心者だなと思いながら、手話の集まりにせっせと行っていた頃の別の仲間に連絡をとった。
ただなかなか最近は初心者向けのいい講座、教室はないようだ。思うに、参加メンバーが手話の初心者ではなく、中級者になってしまっていて、初心者を教えようというよりも、手話ができる者でどんどん会話をすすめてしまう。当然の結果だけど。すると初心者はついていけなくて来なくなる。しょうがないね。(手話通訳の講座が四月開講するのに参加すれば、というアドバイスが適切かもしれない)
一人思い浮かべる人がいる。聾者ではなく健常者。ただその人のお子さんが聾者であるから、手話は達者なはずだ。先日ひょんなことから知り合って、そのお子さんが別のところでよく目にする名前だったからびっくりしてしまった。
お子さんのお子さん、つまりその人にとってのお孫さんは健常者。おだから教育機関では口話を使う。家に帰って聾者のお父さんお母さんに対しても、昼間口話を使ってきた延長で、手話がぎこちない。家族で旅行に行って、他には誰もいない場所で、子供が手話だけで会話をしてくれて、とても開放された。そんな文章を雑誌に載せてらっしゃった。
そんな方の親御さんだから、健常者の手話、聾者との日常会話、それらをいつも体験されている。初心者に手話のてほどきをする、教えるというやりとりはまた違ったストレスを生むのだけれど、「通訳を目指す」という講座の開講を待つ間、ネイティヴな話をきくのはいいんじゃないかと思った。
今日はその人を紹介してくれた聾者の方と会うので、そんなことも聞いてみよう。
あなたが教えれば、という人もいたが、なかなか荷が重い。手話教室のカリキュラムを組んでいたこともあるが、二時間の枠の中で、何をやれば楽しく学べるか、ということを考えるのはたいへんだった。ただ、その準備で聾者の人と打合せることで、私の手話はすこーしだけ上達したのではあった。(了)