母の入所している施設を変わったので、朝の新聞を届けるのをどうしようかと考えた。
施設に新聞を直接届けるのでは味気ないと思って、「○○(母の名前)に渡してください」の帯をつけて、朝施設のポストに入れていた。面会は週一だが、多少なりとも母が子供の気配を感じればいいと思うのと、新聞の見出しくらいは読んで欲しい、そんなつもりである。
変わる前の施設は母の実家から徒歩一分なので、実家に行って新聞に帯をつけて、五分後には施設のポストに入れることができた。変わった先の施設は車で十分から十五分。混雑時はもっと掛かる。
「九時ころにポストを見ます」という管理者の方の話だったので、いろいろ考えたが、六時半に実家について、すぐ車に乗って向かうと到着まで十分。帰りも同じくらいで着いた。渋滞が始まる前に済ませてしまえる。これなら毎日行けそうだ。
薬も私がパッケージして届けることにした。名刺用ファイルを使って下さいと渡されて、調剤薬局からどさっともらった薬を、日付ごとに分けて入れる。たいした作業でもないな、と高をくくったのが大間違い。薬局の薬は個別に分包され、それぞれが空気が入っていて膨らんでいる。五種類の薬を、もともと名刺の厚さしか想定していないファイルに、膨らんだ包みの集合を押し込むのにたいへんな苦労をした。
そして思ったのが、ここで薬を間違えたら一巻の終わりだということ。やりながら、薬剤師さんの仕事は、処方箋通りに絶対に間違えずに調剤すること、と気づいた。私のやっていることは、しろうと調剤である。次回から日付ごとに薬を一包みにしてくださいと、すぐに電話を入れた。
新聞も薬も、やってもらっているだけだと、当たり前としか感じない。ところがいざ自分でやるとなると、新聞は休めず寝坊できず、天気に文句は言えず、薬のパッケージも、間違わずに、指定に文句も言わず、日にちを違えず、ということがいかにたいへんかと実感した。
とは言え、この二つに介在することで、母の状況を面会以外の側面から把握できる。新聞をしっかり読んでいる、薬が増えた、等。
やっていることが母のためになっているかどうか、というのとは少し違うが。(了)