平均律(ドとレの真ん中の音がド♯またはレ♭)でない音楽が気持ちいいと気づいたのはいつ頃か。

 イタリアの古楽、日本の民謡、さもなくば現代音楽。たぶんイギリスも含めて平均律ができる以前の音楽は、純正律(ド♯とレ♭は違う高さ)で演奏されていることが多いんだろう、聴いていて気持ちにちょうどいい。

 グレゴリオ聖歌や、バードの合唱曲は、音の重なりあいを聴いているだけで和んでくる。

 先日ロレンツォ・ギエルミのチェンバロ演奏で、演奏の前に、純正律で調律されたチェンバロで弾きます、と言っていて、単に分散和音が奏でられただけで、そうかだからイタリアの古楽は気持ちいいんだ、とよくわかった。

 日本の民謡や、小唄、長唄、その他の古謡をはじめとして西洋音楽の平均律に毒される前の音楽も、全く同じように、いや言葉の力を加えてそれ以上に気持ちに浸透していく。

 そんな背景があって、ある同級生の友人宅を尋ねる機会があって、やはり同級生の・その友人の奥さんが篠笛を教えていると聞いて、ひととき日本の音楽の話で盛り上がった。というか、奥さんがほとんどしゃべって、たまに相づちを打つくらいだったが。

 そして篠笛は、西洋のドレミファソラシドとは少し音の高さが違って、なんてくだりで、ぴぴっと共鳴した。来週から教えてください、と申し込むと、すぐにプラスチック製の初心者練習用を、二千円だよと出してくれた。お稽古には月六千六百円であった。

 というわけで、この三週間篠笛を吹いている。

 最初は音が出ず、練習も何分かで投げ出す始末だったが、ユーチューブでいろいろ検索してやっているうちに、見事に音が出たので、それから面白くなった。主に夕方から吹くのだが、出ない音が出るようになる今はそれがとても楽しくて、気がつくと八時になってしまう日もある。睡眠時間に差し支えるので、続きは明日と、笛を洗剤で洗って食器と同じかごに置いて乾かす。プラ製はそれでいいそうだ。

 「四の音が気に入りました」と同級生の先生にメールしたけど、わかっただろうか。これは平均律にはない音である。(了)