バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタの第三番。その第二楽章の途中で突然パク・キュヒがバッハの前に出てきた。音楽が、パク・キュヒの音楽になった。バッハでなく、パク・キュヒが聞こえてきた。それからはもう彼女のものだった。この三番のソナタは挑戦だったんだな、と思った。
後半のバッハとバリオスはもう良く知っているパク・キュヒだった。夢のようだった。
それからずっと、会場で購入したCDを繰り返し聴いている。今パク・キュヒ以外聴けない。他を聴いても、パク・キュヒに戻る。
CDの三番のソナタの一つ上に、ライブの三番は行っている、そう思う。でもこのCDも素晴らしい。
バッハの曲は何回弾いても発見があります。今日のリハーサルでも発見がありました。
そんな風に言っていた。だから、三番は去年の十二月の録音の頃から、いくつもの発見を経ているのだろう。この日の体験は得がたいものだったかもしれない。
今一番好きな音楽家。また熊本に来て下さい。
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母親を外出させたのは、先週は三回。そのうち一回は病院だけ。
その外出での歩きが、体力を消耗させたのだと思う。日曜日には血圧がいつもよりプラス二十で、ぜいぜい言っている。施設の方が計ったら、血中酸素が九十パーセントを割っている。
なので、いろんな予定を全部やめて、救急車で救急病院に搬送し、そのまま入院となった。鼻に酸素吸入のチューブをつけ、点滴を施されて痛々しい。頭はクリアーだから余計にそう。
よかれと思ってやる背景に、内心母は実は大丈夫だ、という意識がある。ただこの日は母が死んでしまう想像をした。父と母が玄関前で撮った写真がある。二人ともとてもいい、心からの笑顔。父の遺影はその写真を使った。母のももちろんそうするつもりだ。そんなことをまた今日も考える。
「眞成、おかは元気か」
そう父が言っているようだ。
まだやれることはある。明日は新聞を持って見舞いに行こう。(了)