日頃から飲みに行ったり、なんじゃない付き合いをしているわけではない知り合いから、急にそういう誘いがあると、なにかあるなと勘繰るのは自然だろう。それも、仕事の必要があり電話したら、特に盛り上がった会話でないにもかかわらず、飯を食いに行こうと言われると、まあ何か考えているのだろうと思う。

 推定はできる。同窓会の計画があり、既に会場を予約したらしい、という話が聞こえてきている。別の方面からも、ついに盛り上がったという表現を聞いた。

 50歳のときに、私が連絡係でうまくたちまわったおかげで、たくさんの同級生が出席した、と思われている。それをも一度やってくれということかもと想像する。

 ところがどっこい、その時は強烈に「絶対やる」という一人の女子の熱意が周囲を動かしていたのであって、私はその意気込みの実現に手を貸しただけのこと。私の熱意が同窓会を成功させた源ではない。

 55歳の時には、5年前の再現を誰もが期待したのは当然だったが、私は強烈な熱意のあった女子に、5年前と同様のものを見出せず、他の同級生にもそういったものはなかったので、当日までに完全に白けてしまった。出席はしたものの、記憶、印象に残ることはなかった。

 そういうことなので、今回はどうなっているか知らないが、熱意・意気込みがあるなら、伝わってくるだろうと思うが、うわさを聞いただけで、それから何もない。

 飲みに誘った同級生も、どこまで本気かわからない。こちらとしては、本気かそうでないかは、会って話をすればすぐにわかる。何も熱が伝わってこないのに、役割を振ってくるようなら先は知れている。

 そもそも50歳の同窓会以降、(卒業以来で)再会した驚きの期間は終わって、新たな友人関係が構築されてしまっている。それは好ましいものも、そうでないものもある。(同窓会は、常日頃の関係など全くなくニュートラルで会話をする楽しさ)と思っているので、既に出来上がった中に再度入っていくのは、時に苦痛がある。

 新たに参加する人を探す楽しみも、当日はこうなるだろうという先入観が邪魔をして、そういう気にはならない。

 来週の友人との飯は、せめてうまく食いたいので、そういう話にならないことを願うばかりだ。(了)