嫌なことは、心の中でも言葉にしないでおくようにしている。
言葉は力が強いので、意識に定着してしまう。嫌な気分を定着するのなんかしないほうがいい。
その逆はいろいろな場面で違う。
昨夜は、もうすぐ米寿のマダムと、マダムが好きな布施明のコンサート。
いやあもう圧倒されたその声。最初から最後まで、その声量、声の響き、色、変わらない二時間にどきどきしていた。
「歌聞いてこんなに幸せな気分になったのは久しぶりです。」
とマダムに伝えた。正直なそのとおりの感想である。
坂田さん、いつも娘について行ってもらうんだけど、今とても忙しくて行けないのよ、と誘われたのが年末。楽しみにしてましたよ。そしてその期待以上で、高揚して帰り道運転しましたよ。
どこがどうとか、そんなことは二人話さず、布施明の歌の素晴らしさ、印象をお互いがお互いの言葉でやりとりする。こんなことも久しぶりだね。
いつもは音楽は一人で聴いて、帰り道も一人で、心の中でも言葉にせず、いい気分がむおーっと体を満たしたままにしておくのが習慣。あの幸せな気分は言葉なんかで、変に絞り込んで定着させるともったいない。そんな感じ。
来月の18日は、パク・キュヒのギター。これは一人で行って、そんな気分を充満させよう。
パク・キュヒを熊本で聴けるとは思ってもいなかった。もう、スケジュールを発見したときから、気持ちは上がりっぱなし。バッハ中心のプログラムのようだ。でも曲目なんか後回し。パク・キュヒが弾いたら、どんな曲でもパク・キュヒと曲が一体となって気持ちをつかんでくる。
たとえて言うなら、福永洋一の騎乗。
ほんとは87歳の音楽の先生を誘ったんだけど、これは振られたね。パク・キュヒの演奏を一度アップルミュージックで聴いてもらって、「この人はよく勉強されてますね」と言われたので、気に入ってもらってるとは思うんだけど。
5月18日は、ずっと前に佐野元春を日本青年館で聴いた日、と思ったらそれは19日だった。まあこの辺りはラッキーデイだ。(了)