掃除を2か所。玄関回りと仏壇。玄関の引き戸を拭いて、しめ飾りをつるした。

 お供え餅を玄関と仕事部屋に。半紙を引いて2段の餅の上に、半紙で捻った米を載せる。

 あとは屠蘇の器がどこにあるかを、明日介護施設から戻る母に確認すれば、正月の準備は終わり。

 簡素で、大掃除もせずだが、しめ飾りと餅で雰囲気は出る。

 今年母がしなくなって(母に任せていられなくなって)、自分でするようになったことがいくつかある。

 ご飯を炊いて仏さんに上げること。母が前の日から米を研いで準備する日もあれば、施設に泊まってできない日もある。できない日の場合、前日のご飯が仏壇にそのままだが、よろしくないので、花の水換えもすることだし、自分で炊いて上げるようになった。

 自分で上げれば、量も自分でちょうどよく決める。結局母が食べない分は私の胃袋に入るので、ご飯が無駄にならない量を炊くようになった。

 お寺へのお布施。父の月命日の朝八時すぎにお参りに来てもらう。母は朝七時の施設の朝食に間に合うように連れていくので、私ひとりである。母がお布施の分を用意するわけもなく、必然的に私の財布から出費することになった。資金繰りが変わった。

 花買い。仏壇の花と月命日の墓参りの花は、買い物に行かなくなった母に替わって私が行う。花の状態に敏感になってきた。夏場は花が長持ちしない。下手すると毎週花屋さんに買いに行く。冬場は一転してひと月もつ。墓参りの花も、派手なのを避けて安上がりの工夫をするようになった。

 まあそんなところで、掃除洗濯ご飯炊きの全てが母の手を離れたのだが、下の世話を自分でできるので、自宅に居て母は不自由はないし、子供として面倒はない。お金も回っている。

 飯を食ってうまかと言う。母が塩を施し私が土用干しした梅干しを食ってうまかと言う。施設から帰ってきてお茶と茶請けを出すと、がぶりと平らげる。衰えたようで、食欲は健在だ。

 そういう状態で今年が終了する。来年母ができなくなることは何だろうか?(了)