全てはひとつである。

 

 

あなたの中の長所も短所も

全てはひとつである。

 

 

長所も裏を返せば短所になるし、

短所も裏を返せば長所になる。


全てに良い悪いはなく

自分がどの部分を見ていたいかだ。


事象に良い悪いの意味づけをしているのは

自分自身なのである。

 

 

常に罰する世界にいたいのか?

赦しチャレンジする世界にいたいのか?

 

 

シンプルにそれだけである。

 

 

自分で自分を裁いている間は

「私は悪い人間、不出来な人間だ」

と周りの目を気にして動けなくなる。

 

 

動けずとどまるというのは

進化しないということ。

 

 

進化しないということは

時間だけがただただ過ぎてゆき

未来に取り残される。

 

 

それを続けていると
結果的に退化していく。

 

 

1時間後も、今日も、明日も

新しい未来はやってくる。

 

 

1時間後に同じ行動をしていたとしても、

意識や思考の捉え方が変われば、

全く違うものになる。

 

 

例えば、梅を漬けているとする。

 

 

「はぁ~、めんどくさいな~。

早く終わらないかな~」と思いながら

作業をするのと、

 

 

ひとつひとつの梅に対して、

いのちの有難みを感じながら

「ここに来てくれてありがとう。

おいしくなりますように。」

と作業するのでは、

仕上がりも変わるし、

楽しさも変わってくる。

 

 

同じ梅を漬けるという行動は

全く変わらないはずなのに、

その後起きる様々な現象の
捉え方にも大きく影響する。

 

 

例えば前者の場合、

何が起こってもそこにある喜びに

目を向けられない為、

自分の中で常に不足感に苛まれる。

 

 

お金が足りないから・・・

時間が足りないから・・・

パートナーがいなから・・・

だから自分は幸せになれないと。

 

 

それらの思考は

不安や焦りにつながる。



後者の場合は、

今ある喜びに目を向けることができる。

 

 

起こる出来事においても
あるものに喜びを見出すため、

事象に対する意味づけも
良きものとしてとらえられる。

 

 

足りないではなく、

今あるものの中に喜びをみつける。

それは、安心と希望につながる。

 

 

多くの人々が
不安と焦りの中で生きている。

 

 

今あることに目を向けて、

生きていることに感謝もしないまま

一日が過ぎていることが多いであろう。

 

 

あなたという存在は尊い。

あなたが生きてここにいる

というだけで奇跡だ。

 

 

この奇跡に気づき

喜びを分かち合おう。

 

 

あなたといういのちにありがとう。