長文なので、どうかご容赦ください。
「人間万事塞翁が馬」とは、よく言ったもので、
4月にカナダに来て、たくさんの刺激をもらい、
7月にトロントに行き、都会のエンターテインメントも味わいました。
8月にはレンタカーで3600キロの旅に出て、
かけがえのない楽しい日々が続いていました。
しかし、忘れもしない11月23日。
大雪の日に買い物に出かけたばかりに、
車で大事故を起こしてしまいました。
真っ直ぐなハイウェイ。
スピードは80キロ。法定速度は100キロ。
ウインタータイヤに変えたばかりなのに、
突然のスリップ。
車はハイウェイ上で2回転し、
ハンドルは制御不能。
叫ぶ妻の悲鳴を聞きながら、
車は2.3メートル下へ回転しながら落下。
ものすごい衝撃と共に、車が横転。
天地逆転の状態で車は止まりました。
なんとか脱出しなければと思い、
ドアロックを解除し、左腕でドアを押し開けようとしましたが、開かずもがきます。
妻がパニックで叫ぶ中、
後部座席の息子が
「ママ、落ち着いて!窓から出よう!」
と冷静な一言。
その言葉を聞いたぼくは
「2人とも無事なんだ」
と安心してしまい気絶。
そこから、1時間近く意識がなくなりました。
1980年台の車だったおかげで、
助手席の窓は、手動で開けることができ、
天地逆さの状態から、まずは息子が這い出ます。
続いて妻も窓から脱出。
ぼくの意識がないことに気付き、
2人して滑り落ちたハイウェイに戻り、
助けを求めに行きました。
息子は後部座席で靴を脱いでいたため、
裸足だったそうです。
しばらくすると、
必死に手を振る妻と息子に、
目を止めてくれた後続車が、
奇跡的に止まってくれました。
後続車は3台同時に止まりました。
なぜなら、その3台は親戚だったからです。
降りて来たのは男女の大人が6名。
妻の必死な説明で、まだぼくが車に取り残されて動かせないことを伝えました。
急ぎ車に全員で駆けつけ、なんとかぼくを車から出そうと、試行錯誤しました。
ただ、ぼくの身体はハンドルの下に入ってしまい、カタツムリ状態となっていて、
みるみる体温が低下していきました。
両ドアとも衝撃のため外からは開かず、
妻は「車をなんとか反転して元の状態にして欲しい」と懇願します。
すると、6人の恩人は、車を戻す衝撃で、
ぼくの身体が痛まないように、
車から木材を下ろして杭を作り、
ゆっくりゆっくり車を反転してくれました。
そのおかげで、窓からぼくを引っ張り出すことができました。
生死の境を彷徨うぼくの体温を下げないように、6人の恩人は、車から10枚ほどの毛布を取り出し、地面に敷き、身体を覆い、毛布の四隅を持ってテントにしてくれました。
低下するぼくの身体が少し温まります。
気絶した状態から回復すると、
呼吸困難になっていたため、
苦しく暴れ出す始末。
暴れまくり恩人の女性の髪を引っ張ったそうです。
あまりの変貌ぶりに、
大人3人で頭や手足を、抑えます。
眼や舌が飛び出て嗚咽するぼくを見て、
妻は死を覚悟したそうです。
そして、泣き叫び、ぼくの元へ駆けつけようとしましたが、
最長老のお婆さんが
「体に触れたらダメ。声だけかけ続けなさい。」
と言い、ずっと妻をサポートしてくれました。
その様子を見ていた冷静な息子も泣いていました。
ぼくは気絶してからの記憶が全くないのですが、
妻の声に「ありがとう」と返したと言います。「ありがとうじゃない、生きて!生きて!」
と妻は叫び続けます。
無意識の中、真っ暗な道を歩いていたぼくは、
妻の声が聞こえた気がして引き返すことができました。
救急車が来るまでは、事故から1時間程かかりました。
その間、ずっとぼくの身体をさすり、
大雪が顔や身体にかからないよう、
毛布でテントを作ってくれた親戚一同の恩人には、
お礼の言葉が見つかりません。
その後、救急車で40分かかって近くの街の病院に搬送されました。
しかし「さらに精密検査が必要だ」
と言われました。
3時間かけて次の病院に搬送され、
大きな街の病院に着きました。
CTの結果、肋骨7本、背骨3本、横隔膜破裂による出血、血肺炎などなど、
恥ずかしながらの大重症。
背骨の骨折がひどく、
手術するかどうかをお医者様も悩んでおられ
「手術するなら、もっと大きな病院(カナダ第二の都市バンクーバー)に搬送が必要だ。」
と言われました。
バンクーバーはこの病院から車で12時間。
救急車で行ける距離ではありません。
そのため、救急用の専用飛行機に乗らなければなりません。
緊急性の高い患者さんが優先であること、
ぼくの身体が飛行機に耐えられる状態になること
などの関係で、事故から4日後に専用飛行機に乗って、バンクーバーに搬送されました。
バンクーバーでのドクターの診断は、
「手術の必要なし」でした。
バンクーバーの巨大病院で、
一人で1週間ほど入院しました。
壮絶な痛みとの闘いでした。
思い出したくもありません。
そして、またチャーター機に乗り、
はじめに搬送された小さな街の病院で3週間ほど入院して、カナダの田舎村に戻れました。
九死に一生を得たあの日。
妻と息子がほぼ無傷だった奇跡、
3台の後続車が親戚のみなさんで救助に手慣れていたという奇跡、
ぼくの身体に手術が必要なかったという奇跡、
たくさんの奇跡体験に救われました。
現在、絶賛リハビリ中で、
まだまだ大半が横になっていますが、
口と頭と手足は動きます。
ご心配をおかけし、申し訳ありません。
(父)
「ぼくの友達紹介」
日本のアニメが好き。そしていつも笑っている。
タイピングを打つのが早い。
時々少し日本語を話す。
そして田代まさしの絵を書いていた。
タイピングを打つのが早い。
時々少し日本語を話す。
そして田代まさしの絵を書いていた。
イラストが得意。
とても面白くて、
ぼく的に一番の仲良しだ。
とても面白くて、
ぼく的に一番の仲良しだ。