土曜日はグロッセリーのお買い物の日。
バーンズレイクという街のスーパーに
行き、巨大カートを押して歩く。
食品を探す妻に、付かず離れずの距離を
保ちながら、何かおもしろいことはないかと
人や物を探す。
探しているから出会えるのか、
おもしろセンサーの感度が低いから、
おもしろいと思ってしまうのかは、
自分でもよくわからないが、
スーパーは基本おもしろの宝庫だ。
巨大なカートは時に、客同士の通行を
妨げる。
お互い「excuse me」や「thank you 」
と言って、上手にすれ違う。
しかし、
すれ違ったあと、猛烈な違和感が!
うん?
今の女性のカートに、
人が横たわってなかっか?
そんなことあるか?
いや、間違いない!
確認したくて、引き返す。
やはりそうだ!
先程の女性のカートには、
購入予定の冷凍ピザをマクラにして、
完全に寝ている女の子がいる!
食べ物はその周りに上手に置いてある…
この写真が撮りたい!
けど、それは完全に変態だ!
だから遠目から撮ろうとカメラを構えたら…
「カートには、食料品などを入れるもの」
こんな概念は日本だけのモノなのかも。
眠くなった子は、カートで眠れるのだ。
海外に住んで思うのは、
自分の中の「ねばならない」が、
いかに小さな枠なのかということ。
「こうでなければならない」が、
なくなる感覚は、自分の柱が崩れ落ちる
感覚にもつながる。
けれど、なぜか、ふわぁと浮く感じ。
昇華するのかな?
これがまた、なぜか、いい。
フレッシュ、フルーツ、チキンの着ぐるみ?
もう、ふわーふわーふわーだ。

