実習生の記録に、「自分が手も足も動かないと想像したら、けっこういろいろなことが気になり始めるもので、そういう想像力って大事だなと思う今日この頃」などと、指導とも随想ともつかないことを書いてみたりする日々。

 ごぶさたしているALSの方のおうちに行きました。案の定、マッサージなんかしてみたらちょうどいい格好にもどせなくなり、泣かれてしまいました。
 いつの間にやら読心術には長けてしまったようで、その方が娘さんに「おねがい」と言っているというのだけは分かり、「じゃあお願いしていい?」と帰ってきたのは半分逃げではあるのですが、残りの半分は、そうじゃない、という確信なのです。

 どんなに私が笑顔を絶やさないことだけは心がけ、どんなに娘さんが嫌々接したとしても、その方が「やっぱり看護師さんがいい」とか、「やっぱり病院がいい」とか言うことは絶対ないという確信。
 そして、それが私のそのおうちへの行き甲斐でもあるという確信。

 面倒くさがられつつ行く日が続きますように。
 
 「9時半には出て映画を見に行く」と言っている娘を10時になっても起こしてくれないお母さんってどうなんだろうという問題はさておき、そんなことで一日をだいなしにするわけにはいかないので、すっごく見たかった映画を見損なった後はさっさと帰ってきて、「里の風景を受け継ぎ生かす」というシンポジウムに行ってきました。

 30年前にくらべたら1/5くらいに減ってはいるものの、それでもまだこの辺りには80棟近くの茅葺き民家が残っているのだそうです。
 早速、多く残っている地区をメモしながらも、「茅葺きは一日にしてなくなったのではなく、瓦葺きへと変わりつつある今の姿も時代の移り変わりとして見なくてはいけない」という先生のお話が印象的でした。
 よく見かける部屋のある門は長屋門というのだと知り、なぜこの地域に長屋門が多いのかを教えていただきながら、長屋門のお部屋に寝ていたおばあさんの床ずれの処置をしたことを思い出して、茅葺きから瓦葺きへという時代の流れを見守るということがどういうことなのか、自分なりに感じた気がしました。
 そして、去年みとった茅葺き職人のおじいさんが、茅葺き職人の最後の世代の方々としてちゃんと認められていたということも分かり、うれしい気持ちになりました。
 
 それにしても、こういうことを学問として研究している人と、まさにそれが生活の場である人とが一堂に会するというのは興味深いものですね。
 どんなに茅葺きが美しいと言われたって、それでは食べていけない、と主張する方々。
 茅葺き屋根の修復費用を国や自治体が補償する制度があるとなれば、食べていけないのは茅葺き屋根のせいではないのでしょうが、都会でたくさんお勉強した人に茅葺きを残せ残せと言われることのストレスは分かる気がします。
 そして先生のお言葉。
 「みなさん、茅葺きの悪いところばかり考えていませんか。虫はくる。火事は怖い。嫁は来ない。。。」
 ちょっとちょっとそれもちがうよ!と思いながら会場を後にしました。。。
 ことの発端は、資格更新のための講習を私が怠けていたことでした。
 
 おかげではるばる大阪まで研修に行くことになってしまいました。
 せっかくなので、研修の後大急ぎで京都へ行き、人生の中でいちばん長い時間を共にすごすと思われるお仕事かばんにしていた一澤帆布さんのかばんがだいぶくたびれてきていたのを治してもらうことにしました。
 「なおせるか職人に確認してまいりますのでお待ちください」
 なんてかっこいい>。<

 そしてまたせっかくなので、友だちの家でさんざん酔っぱらった次の日は、竹中大工道具館へ行ってきました。
 こんな小さな博物館に一時間半(閉館時間が遅かったらもっといたかも)もいたのも初めてなら、誰にも何も言われないのに博物館でメモをとったのもたぶん初めてです。
 さらに、どこにも写真撮影禁止と書いてないし、周りに誰もいないので、写真も撮ってしまいました。

$manaoの運命帳IV-すみつぼ
 東大寺南大門から発見された忘れものの墨壷なのだそうです。
 忘れたのはなんと、13-14世紀!

 そして大工道具は、そのほとんどが、少しずつ使い方や装いを変えながらも、東南アジアにもヨーロッパにも、同じような用途のものが存在したようです。
 あちらこちらの国の墨壷が一堂に展示されている様子ときたら。
 「大工道具の標準編成」の展示の放つ威厳ときたら。
 大工道具作りを極めたといわれる鍛冶屋さんたちの作品の輝きときたら。

 それらがなんなのか、書き表す言葉がみつからないけれど、とにかく去りがたくて本やら絵はがきやら買い込んでしまいました^.^;

 そして今回の旅のお供はこちら。
舶来屋/幸田 真音

¥1,995
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 「舶来屋」は、ノンフィクションに近い作品のようなのがまたびっくりですが、戦地を奇跡のように行きのび、戦後の闇市の延長のように日本にヨーロッパのブランドを紹介した方の話です。
 私にとってブランドとは、「何がいいのかよくわからないけれどみんながほしがるやたらと高いもの」にすぎなかったのですが、そもそもは、優れた職人技の品だったからこそブランドたりえたのですね。

 一澤帆布さん、竹中大工道具館、「舶来屋」がシンクロして私に迫ってきたのは言うまでもありません。

 大工道具館に、「他人の道具を借りるのは恥」と書いてあったから血圧計買います!と豪語して、周りの方の温かい失笑を買いながら、一澤帆布さんでもうひとつかばんを買っちゃおうかと思う今週なのでした。。。



 親と子の絆というのは、それはそれは強いものとして当たり前に認められることが多いけれど、私には想像するしかできない戦後の悲惨な大混乱の中で、人としてあり続けようとするためにできた絆というのは、親と子の絆くらいの強さがあるんじゃないか、だから私は昭和の時代に惹かれてしまうんじゃないか、と思いました。。。
 去年の初めに、とても新鮮な気持ちで読んだ本について思い出すことが、一年の間に何度かありました。
 そして、その本を読んだときのメモを読み返してみると、もうさっぱり新鮮な気持ちにはなれないことに気づき、私は何かをほんとうに学んだのだという気持ちになりました。
 考えてみれば、そういうことを身をもって学ぶ機会にあふれた一年間でした。
 出会う人も、読むものも、直面する問題も、そこを考えざるを得ないという点でシンクロしていたというか。。。

 それなのに、自分の芯というものをずらさずに、でも折れないように弾力性をもたせるための調節に手間取る年末年始。
 先っちょは丸く、2Bくらいでいきたいものです。