つづきです・・・

 

 

 

 

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この時から

ずっと問いかけてきたことの

 

答えのようなものが

 

不意にアタマの中に響きました。

 

 

 

 

「わたしは

 自分でがんになった」

 

 

 

 

 

あまりに不意すぎて

 

一瞬

何を言っているの?と

 

自分の声を疑いました。

 

 

 

 

心の準備もないままに

その言葉を受け止めるには

 

わたしには

刺激が強すぎる、、

 

漠然と

そんなふうにも感じていました。

 

 

 

 

 

すると

 

また

 

アタマの中に

 

声が響きました。

 

 

 

 

 

 

 

「わたしは

 がんになりたかった」

 

 

 

 

 

「わたしは

 がんを自分でつくった」

 

 

 

 

 

 

有無を言わさないほどに

 

はっきりとした

 

静かな声が

 

響きました。

 

 

 

 

 

 

わたしは

 

 

「そうなんだ・・・」

 

 

 

そう思いました。

 

 

 

 

 

「確かに

 そうかもしれないな・・・」

 

と。

 

 

 

 

 

 


2016年

股関節の手術をして以来

 

わたしは実際

自分の生き方に迷っていました。

 

 

 

 

本当はこう生きたい、

と思うものはあるものの、

 

それを実行できるなんて

とても思えないでいました。

 

 

 

自分が思っていた以上に

 

自分が繊細で、

 

すぐに疲れるし、

足は痛いし、

 

思ってたより

どうやらポンコツっぽいし、、



この先どうやって

生きていったらいいんだろう?

 

と思い始めていました。

 

 

 

 

 

それでも

生活はしていかなければいけない。

 

 

 

お金を稼ぐ必要がありました。

 

 

 

 

わたしは

自分の体にも心にも鞭を打って

 

今は子どもたちのために

生きよう!

 

子どもたちのために

頑張って

仕事をしよう!

 

 

 

 

そう思って

保育士の免許を活かした仕事に就いて

頑張ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

でも

実は、

 

保育士の仕事に就いて

2年目を超えたくらいから

しんどくなってきていました。

 

 

 

 

同じ仕事をするのは3年が限度だ、

とも思っていました。

 

 

 

 

 

わたしは

今まで

 

バイトもパートも

2年以上

同じところで働いたことが

一度もありませんでした。

 

 

 

 

どうしても

途中で嫌になってしまうのです。

 

 

 


そして、

やっかいなことに、

 

嫌になってしまうことに

理由はないのです。

 

(多分その当時は

 何かしらの事件が起きていて

 転職をせざるを得ない状況に

 なっていることが多かったし、

 そうでないときにも

 あれこれ理由をつけていたと思いますが、、)

 

 

 

 

 

 

なぜ、こうも仕事が続かないのか、

 

自分でも不思議で謎だったのですが、

 

本当に

理由はなくて

 

ただ、もう飽きたなぁ、となったり

 

ちがうことしたいなぁ、となるのです。

 

 

 

同じところに毎日通う、ということ

そのものにも

うんざりしていました。

 

 

 

 

そこがどれほど働きやすくて

素晴らしい人に恵まれても

そうなるのです。

 

 

 

 

 

このことは

後ほど、

 

ADHDの特性だったことが

わかったのですが、

 

(わたしは2021年1月に

 発達障害(ADHD)と診断されました)

 

そんなことを知らなかったわたしは

自分のそういうところを

とても嫌っていました。

 

 

 

 

自分の欠陥だと思っていたのです。

 

 

 

 

仕事が続けられないことは

社会人としてはもちろん、

 

母親としても失格

(子どものために

 頑張れない最悪の母親)

 

だと思って

自分を責めていました。

 

 

 

また、

職場の人はいい人ばかりなのに

すぐに辞めたくなってしまう自分を

 

人としても

最悪の人間だと思って

罪悪感にまみれていました。

 

 

 

 

 

 

金銭的にも

必要であったことと、

 

そんな自分をなんとかしたいのもあって、

 

今度こそは

3年は必ず続けよう!

 

そう決めて就いた仕事でした。

 

 

 

 

 

3年まではなんとか頑張ったけれど、、

 

 

その先は、

ほんともうムリ・・・

 

 

それが本音でした。

 

 

 

 

 

 

ですが、

学費や生活費のためにも

今ここで辞めるわけにはいかない、と

 

結局2020年に

再度

もう3年、

頑張ることに決めたのでした。

 

 

 

 

 

 

けれど

 

心も身体も限界でした。

 

 

 

 

そうして

わたしは

 

せっせとがんを

つくったのだ、とそう感じたのです。

 

 

 

 

 

がんになったら、、

 

がんになって

手術をすることになったら、、

 

仕事を休む理由になります。

 

 

 

(人によるし、

 選択によりますが、、)

 

なんなら

仕事を辞めることもできます。

 

 

 

 

 

しかも

その選択をしたことを

 

「仕方ないね」

 

と言ってもらえる・・・!!

 

 

 

 

 

誰にも責められることなく、

 

悪者になることなく、

 

堂々と

 

仕事を辞められる・・・!!!

 

 

 

 

そのために

 

わたしは

 

わたしの中に

 

がんをつくった・・・

 

 

 

 

 

認めるには

とても勇氣がいるけれど、、

 

 

きっと

それは本当のことだ、と

 

 

そう感じました。

 

 

 

 

 

 

 

静かに

 

静かに

 

涙が流れ落ちました。

 

 

 

 

 

 

 

わたしが仕事をすぐ辞めたことで

 

今まで

誰かに責められたことはありません。

 

 

 

 

子どもたちは

わたしがやりたかった仕事を

したらいいじゃん、

とずっと応援してくれていました。

 

 

 

 

両親、特に母は、

 

わたしがやりたい仕事に挑戦して

個人事業主になったときに

 

毎月自分が働いたお給料を

全てわたしに渡して

生活費を援助してくれていました。

 

 

 

 

 

職場の同僚も先輩も

新しい仕事に就くために

辞めるわたしを

応援してくれていました。

 

 

 

 

 

そんなふうに

いつだって多くの人から応援や

援助を受けていたのに、

 

わたし自身が

自分のことを全く許していなくて

 

自分のことを恥じていて

 

自分のことを責めていて、、

 

 

その結果が

がん、という選択だったのでした。

 

 

 

 

 

 

もう本当に

何してんだろう。。

 

わたし。。。

 

 

 

 

 

泣いたって仕方ない。

 

 

 

わかっているけれど

 

泣かずにはいられませんでした。

 

 

 

 

 

 

ただ、

自分の生きたい人生を生きたい、

 

 

そのために

 

どれだけの遠回りをして

 

どれだけのリスクを

 

自分に背負わせたんだろう。。

 

 

 

 

 

 

信じられないような、

 

けれど、それが、

 

わたしにとっての

 

真実でした。

 

 

 

 

 

 

注:ここに書いていることは

  わたしがそうだった、というだけで、

  他のがんを体験している人も

  そうだ、ということを言うつもりは

  全くありません。

 

 

 

 

 

 

自分に心底、呆れました。

 

 

 

呆れたけれど

そんな自分をこれ以上

責める氣にはなれませんでした。

 

 

 

 

 

 

そっか。

 

そうだったのか。

 

 

 

 

 

そして

 

 

これから

 

 

どう生きようね?

 

 

 

 

 

 

 

もうこうなったら

 

欠点だらけの自分のままで

 

欠陥だらけの自分のままで

 

そんな自分を許して

 

生きるしかないね。

 

 

 

 

 

 

欠点だらけ、欠陥だらけの自分を嫌って

 

なんとかしようと頑張って、

 

それでも欠陥を治すことができなくて

 

苦しくて、、

 

 

がんを作り出すことまでして

 

そうまでしても

 

自分でしかいられないんだから、

 

もう

 

このままで

 

行くね。

 

 

このままで

 

生きるね。

 

 

 

 

 

 

自分で

自分を許すしかないね。

 

 

 

 

そんなふうに思ったのでした。