とてもきれいで
かわいい絵が描かれていました。
森のみどりに、
虹色の動物たち。
無機質な空間が
ぱっと華やいで、
いっきに
わたしのこころに
ふんわりと
風を吹かせてくれました。
はぁ。
よかった。
不安はあるけど、少しやわらいだ。。。
繊細になっているわたしのハートを
ゆるませてくれたその絵。
色って
アートって
すごい!
ここに音楽があったら
もっといいね、
なんて感じながら…
CTを撮り終え、
診察室に呼ばれ、
「まだはっきりとはわからないけれど、
ここに腫瘍があります。
これを手術で取ることになりますが、
より詳しいことがわかるように、
次回大腸カメラで撮りましょう」
と言われました。
「がんですか?」
ときくと
「いやまだそれはわかりません」
と言う医師。
「悪性か良性かは
まだわかりませんが、
腫瘍は取ることになるので
手術はほぼ確実でしょう」
と言っていました。
「大腸カメラを撮ると、
大体のことがわかるので」と言われ、
そうか、
がんの告知は
大腸カメラを撮ってからなんだな、
と理解することに。
2020年5月11日に
大腸カメラの予約をとり、
看護師さんから
前日に取り組む下剤の説明を受ける。
今日診察を受けたら
ハッキリする、と思っていたけど
結局ハッキリしたことは
何一つないまま
もやもやとした気もちを感じながら
ヘトヘトになって帰宅することに。
内診がなかったのが、
唯一の救いだったけれど。。。
職場に電話をして、
5月11日にも
お休みをもらうことを伝えました。
・・・・・
ここから、
体調はさらに
悪化していきます。
お腹は常に痛い。
痛みで身体がこわばるため、
呼吸が浅くなる。
気がつくと
身体がかたまって
息を止めて
痛みに耐えている。
意識的に
呼吸をしないとだめだな、
と思いました。
しんどくなったら
横になる。
休む。
そんななか、
わたしにとって
うたうことが救いになりました。
うたうと痛みがやわらぐのです。
うたうことで
呼吸が
必然的に深くなるからかもしれないし、
音や言葉のもつ波動が
癒しになっていたのかも、
とも思います。
うたっては
感情が溢れて
大泣きをして、
自分の不安な気持ちを
解放したり、
大好きな歌を聴いては
うたい、
また大泣きして…
自分の言葉で言い表すことのできない感情を
歌をうたったり
歌を聴いたりして
涙とともに
洗い流しているような感覚でした。
あの時は
たくさんの歌が
わたしの心を救ってくれていました。
歌に救ってもらっていたとはいえ、
それでも
まだ
あの時のわたしは
がんばってもいて、
よっぽどつらいときは
お休みをもらうこともあったけれど、
仕事に行けば
つらくても
今までどおり働こうとしていました。
あまりに体調が悪く、
つらくて休むこともありましたが、
コロナウィルス感染拡大防止のために
保育園に来ている子どもたちが
少なかったために
急遽休みをもらっても
「なんとか まわっていくから大丈夫よ」
と言ってもらえることが
わたしにとって救いでした。
ただ 子どもたちの
「鬼ごっこしよう」とか
「一緒に砂で山を作ろう」とか
そういう誘いには
身体がしんどすぎて
応えられなくなっていました。
ヘロヘロすぎて
仕事から帰宅する頃には
耐えがたいほどの痛みと
全身のだるさで
ご飯を作る気力も失せていました。
普段あまり買うことのない
冷凍のおかずや、
カップ麺を買って食べることもありました。
本当は
ちゃんと
自分の食べたいものを
つくってたべたいのに!
なんだよこの生活!
とちょっとイラついていました。
とにかく
体が思うように動かない日が続いていました。
そして、この頃から
やたら酸っぱいものが食べたくなり
ヨーグルトや果物を食べまくるようになります。
特にヨーグルトを欲していて
今までにないスピードで
ヨーグルトを消費するようになっていました。
まるで妊婦の時のようだな…
自分のことをそう思いながら
見ていました。
「がん細胞がある」ということは
子どもをお腹で育てるのと
同じくらいのエネルギーを
消費するんだろうか…?
とぼんやり思っていました。
(ほんとうのところはよくわからないし
この時はまだがんです、とはっきりと
言われたわけでもないのですが…)
お腹はすくけれど、
いままでと同じ量を食べると
すぐに気もちわるくなったり
腹痛が起きるので、
一度に食べる量を減らして
回数を増やすことにしていました。
あとは
消化をたすけるために
めちゃくちゃよく
噛んで食べるようにしたりもしていました。
それでも
しんどいときは
しんどく、
全身のだるさや
熱っぽさ
下半身や腹部の痛みで
なかなか寝つくことができない日もありました。
脚の付け根が痛いこともよくあって、
「あーリンパに転移とかしてそう」
なんて考えが
アタマをよぎっては、
「いやそんなことはない!大丈夫!」
と自分に言い聞かせたりもしていました。
肺も苦しくて背中も痛いこともあって
「肺や肝臓に転移してるかも」
なんてことも考えたりしていました。
最悪な状態を考えては
否定して、
最悪それが起こるかも、
なんてことも
思いたくなくなっていました。
本当に
身体も心も
しんどい時間を過ごしました。
とりあえず、
大腸カメラでわかるんだ、
と自分に言い聞かせて、
それまではあまり考えないようにして、、
それでも
気になり出したら
止まらないのが
人間のサガ。
昨年から続いているひどい肌荒れも、
がんのせいだったんじゃないか、
と思いはじめたりもしていました。
・・・・・
この苦しい時間の全てを
5月1日の
最初の診察の段階から、
ずっと連絡をとって
報告していた友人たちがいました。
4年前に
臼蓋形成不全で
股関節の手術をしたときに
同室になって
仲良くなった友人たちでした。
お互い
思い通りにならない身体を抱え、
無防備で、
繊細だった時期。
彼女たちとは、
もうほんとうに
あらゆることを分かちあって
共同生活をしていたので、
家族よりも家族みたいな存在で、
どんな自分でも
さらけ出してきた間柄でした。
彼女たちのおかげで、
わたしの3ヶ月の入院生活が
豊かでたのしいものになり、
退院後も
時間をつくっては、よく会いました。
その彼女たちには、
今回起きたことの
全部を話していました。
ショックもあっただろうし、
心配もしていただろうに、
「がんがあったとしても、
そのまま まるごと あいしてるよ」
と伝えてくれ、何度泣いたか。
ほんとうに
彼女たちの存在もまた
わたしの救いでした。
彼女たちのおかげで
わたしは
強がることもなく
たくさん
泣くことができたのでした。
そして、
これは
本当に不思議なのですが、
ある時、
泣きながら
やりとりしているうちに、
なんだか急に
自分の人生が
すっごくおもしろい
(興味深い、という意味で)
と感じて、
ワクワクしてきちゃったりもして
「え?どゆこと?
なんでよろこんでるの?」
となることもしばしばでした。
いろんなことを体験したかったんだなぁ…
と距離をおいて客観的に観ているような
そんな感覚に急になったりして
そんな自分をさらに観察している
もう一人のわたしがいるようでした。
不思議な感覚。
ほんとうに
さまざまな感情がでてきては
それをひとつずつ味わって
自分を観察する日々が続きました。