がんかもしれない、

というわたしの状況を
 

娘や息子には
泣きながらでも
伝えることができましたが、
両親に伝えることは

していませんでした。

 

二人に伝えることを
想像するだけで涙が出てしまう…

 

 

 

泣いてしまうのならば
両親には伝えられない、
と思っていたのです。

 

 

 

泣かずに

伝えられるようになるまでは、、、

と考えていたため

伝えるのを先延ばしにしていました。

 

 

 


わたしは

自分の子どもの前では
普通に泣けるけど、
 

親には
泣く姿を見せるのが
あまり得意ではありませんでした。

 

 

 

 

なぜだろう?

 

「泣くな」

と言われたことがあるのかな?

 

と自分に問うのですが…

 

 

「泣くな」と言われたかどうかは

覚えていないけれど

 

「泣くことじゃない」

と言われていたような気がします。

 

 

なので

親(特に父親)の前では

とにかくいつも泣かないように
我慢をしていました。

 

 

(母親は

わたし以上によく泣く人でした)

 

 

 

我慢しすぎて
あたまがいたくなることも

よくあったなぁ…




なぜ泣いてはいけないような

気がしていたのかは謎ですが


何となく

泣き虫はダメだ、カッコ悪い

みたいに思っていたようです。


 

わたしが泣いたときの

両親の態度を見て、

わたしが勝手に

泣いてはダメだ、と
思いこんでいたのでしょう。

 

 


アタマは勝手に
思いこみを作り上げ
あたかもそれが
「真実」かのように見せては


わたしが嫌われて
傷つかないように
警笛を鳴らすのです。



それでも
今回は
どんなに警笛を鳴らされようとも
泣かずにはいられないことも

分かっていました。



なんせ
感情のコントロールが
ほとんどと言っていいほど
できなくなっているのですから。
 

 

 

そう思うと
気が重くて
伝えるのを
躊躇してしまっていたのです。


 

 

 

息子に
 

「ふたりにはもう伝えたの?」
 

ときかれ
 

「まだだよ」
「だって伝えようとすると
 泣けてくるんだもん」
 

とこたえると

「いやいや真っ先に話さないかんでしょ」
 

と言われ、、、

 

伝えることにしました。


 

 

 

泣かずにいられないならば
泣いてしまっても 
いいじゃないか

自分にそう言って。

 

 

それが今のわたしならば
それを表現したら
いい。



そんなことで
嫌われるはずもないけれど、


もしも
わたしのあるがままの姿を
嫌う人がいるならば
 

それはそれで
しかたのないことだよね、
とふんわり感じたりもしていました。



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だって
人間だもの。

 

親だって
人間だもの。

 

好き嫌いだってあるよね。


 

 

 

だいすきなひとに
嫌われたら
わたしは
とても悲しいけれど、
 

相手が何を思うかは
相手の自由なのだから。

 

 

 

それが
たとえ親でも。

それが
たとえわが子でも。

 

 

 

 

 

わたしたちは
だれのことも
コントロールできないし
する必要もない。

 

 

 

そして同時に
真実かどうかわからないもの
(たとえば思いこみ)に
 

いつまでも
とらわれている必要もありません。

 

 

そこから一歩踏み出して
いよいよ
「真実」を
真正面から見てみるといい。
 

そんなふうに
自分の内なる声が聴こえました。

 

 

 

 

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それからすぐに

母に電話をしました。

 

まずは
息子に起きていることを話しました。

 

高熱が出ていることなどを話すと
「えーーーー!!」
と驚いて、
電話の向こう側で父に伝えている。

 

2人して
「ああでもない、こうでもない」
とさまざまな情報を伝えてくれる。

 

 

ほーほーなるほど。

 

 

普段
新聞やニュースを
ほとんど見ないわたしでは
知り得ない情報を
彼らは伝えてくれる。
ありがたい。


 

 

そんなやりとりをしてから、
 

「あ、そういえば、
 わたし、
 今度〇〇大学病院 
 受診することになったから」
 

と、ついでのように伝えました。


 

「えー?なんで?」


ときかれ
 

「実は…」
 

と話す。


 

 

話しながら
涙声になってくる。

 


 

「あんた、大丈夫かん?」(←三河弁)
「ショックだったでしょう」
 

の母の声に
涙腺崩壊。

 

 

 

 

あーあ 泣いちゃったよ…



しかたないね…

 

なんて、
静かに観ているわたしを
感じながら

 

「もう なにもかもを
 素直に表現して
 生きるしかないな」
 

と、

ぼんやり思っていました。