パパさんのお仕事関係の方のお嬢さんがご結婚されるということで、
家族で結婚披露宴に招待していただきました。
マレームスリムのご家族の結婚をお祝いさせてもらえるなんて、
初めての経験で、とても楽しみでした。
と同時に、何を着ていけばいいのか?お祝いはどうするのか?
インターネットで調べたり、人に聞いたり...
写真は招待状です。英語とマレー語で、左右、新郎側、新婦側それぞれの招待状となってます。


会場は地域のコミュニティークラブ。日本の公民館をもっと立派にしたような施設です。
ホールには新郎新婦の家族、友人がいっぱい!


ふと舞台を見ると、あらすごい!なんて豪華な新郎新婦席!


伝統的な婚礼の衣装なんでしょうね、すごくきれいな装飾が施された衣装を着た新郎新婦、
美男美女ですごく素敵でした。

式はどんなのだったかというと、午前11時から18時の間に、それぞれがお祝いに来て、食事をいただき、歓談してみんなそれぞれの都合で帰るといった感じでした。日本の披露宴のように、一斉に席につくこともないので、はたしてどのくらいの人が訪れてるのかわかりませんが、私たちがいた間にも次から次へと人が訪れていたので、かなりの人数を招待しているんでしょうね。


司会者がいて、ず~っとしゃべりっぱなし。そして日本の余興みたいに、次々に出席者が歌をうたいます。しかもみんな熱唱!司会者のしゃべりも、出席者の歌も、ボリュームでかすぎて、
会話が難しいくらいでした(笑)


そして次々と出席者は舞台にあがり、新郎新婦と記念撮影。これは日本もおんなじですね!
もちろん私たちも撮ってもらったのですが、業者さんの撮影だったので写真はなし。残念!


バッフェ(ビュッフェ?バイキング?)のメニューはマレービリヤーニ(スパイスと米を炊いたものー写真の一番手前)、マトンカレー(写真手前から2番目)、チキンカレー(写真手前から3番目)、ミーゴレン(やきそば)、エビのグリル、アチャールという野菜のピクルスなどです。私はどれも好きなのでお腹いっぱいいただきました。
パパさんもなっちゃんもほーちゃんも、エスニックフードにもすっかり慣れているので、
それぞれ、好きなものをいただいていました。


デザートもマレーデザート!
ココナツミルクやお米、マメ、タピオカなどを使った蒸し菓子が多く、
日本のういろのような食感で、もう少し甘くてココナツミルク風味という感じ。
今まで、お店で見ても挑戦していなかったお菓子だったので、いろいろ食べてみることが
できて、楽しかったし、おいしかった!


これもマレーデザートのひとつで、もち米のお団子(おはぎの小豆のないところね)がドリアンのスープ(これもココナツミルクと混ざっているんだとおもう)に入っています。
同席したおじさんが"Try this!"と持ってきてくれました。おじさんの大好物だそうです。
私はドリアン初挑戦!なんとも不思議、おいしいけど、すごくおいしいともいえない、複雑な、まぁ、珍味なのか?また食べたいかというと、少しなら、という感じかな!
フルーツの王様といわれる由縁は栄養が豊富で、国王が精力増強に食していたそうです。

このドリアンデザートをすすめてくれたおじさん、ガタイがよくて強面で、無愛想な感じでしたが、目があって笑顔であいさつすると、日本人か?と聞かれ、すごく優しい笑顔で話始めてくれました。日本人もそうですけど、シンガポーリアン、マレー、インド人、中国人、西洋人に比べ、東洋人はみんな一見、無愛想で、機嫌悪そうな感じなんだけど(正直、感じ悪いなぁと思うこともあります)目が会ったときに、こちらが笑顔で会釈すると、とたんに優しい表情になる。そんな経験が多いので、やっぱり笑顔って世界に通じるコミュニケーションツールだなぁと思うのです。


帰りには、かわいらしい化粧箱に入ったタオルのおみやげ。
幸せそうな新婦の父(パパさんとお仕事を一緒にしている方)も見れたし、
美しい新郎新婦、そして、いろいろなバックグラウンドを持つ人たちの民族衣装姿など、
違う文化の結婚披露宴に出席するという貴重な経験ができて、本当に良かったです。


出席する前は何を着ようか、お祝いはどうしようか、など、違う文化、形式に失礼にならないように、とか考えていたのですが、結局はお祝いする気持ちを持って出席することが一番大事なんだと思いました。招待してくれた新婦のお父さんも、宗教や文化の違う私たちにマレーウエディングの作法通りなんて、もちろん期待はしていなくて、何よりも愛する娘の結婚を一緒にお祝いしてくださいという気持ちだったでしょうし。
シンガポールで暮らす人々は、自分たちのルーツをとても大事にしていますが、同時に、多民族、多宗教な環境に応じ、他の文化、宗教を受け入れることに寛容なんだと思います。それに対して、私たち日本人は、失礼にならないように、とか考えすぎるため、自ら壁を少し高くしてしまっているように思いました。