最近、

私の中の「家族」「愛」の定義が変わった。

 

 

 

そのことによって、

家族に、とっても感謝できるようになったし、

彼とももっと仲がよくなったし、

 

 

 

”自分をよくする”

により意識がいくようになったんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

私は家族のことを、

小さい時から何よりも強く想ってたから、

 

 

こだわりが強かったんだよね。

 

 

 

「この愛は、

完璧でなければいけない」

 

 

 

って。

 

 

 

それは自分をも強く縛った。

 

 

 

家族を完璧に愛さなければ、

全てを受け入れなければ、

彼氏の全てを完璧に愛さなければ、

 

 

 

たとえ自分を置いていったとしても。

 

 

 

そして人からの愛や想いに対しても、

相当厳しかったの。

 

 

 

「それは本当の愛じゃない・・・」

 

 

って。

 

 

 

まあ、

そうやって悲劇のヒロインぶってたってこと。

 

 

 

 

 

 

だけど私は研究熱心という良い部分があってね。

 

 

 

色んな愛の形、家族の形、パートナーとの形に

興味があって調べてみると、

 

 

 

日本の昔、江戸の頃なんて、

誰が誰の子供産んだか分かんないし、

 

 

 

それでも、

「まぁみんなで育てりゃいいよね」

って感じだし。

 

 

 

 

なんだ、愛に、

 

本当か嘘かなんてないし、

 

絶対、もないんだ。

 

 

 

 

 

愛は自由でいいし、タイミングでいいんだ。

 

誰が育ててもいいし、見てあげなくてもいい、

 

知ろうとしなくてもいいし、

 

与えてあげなくてもいいんだ。

 

 

 

 

 

その上でうちの家族は、

 

あんなにお世話してくれて、

 

コミュニケーションとってくれて、

 

お金もかけてくれて、

 

教育機関にも困ることなく行かせてくれて、

 

ご飯も食べさせてくれて。

 

 

 

 

神か!?

ありがとう!!

 

 

 

 

と思った。

 

 

 

 

私は両親が仕事忙しかったから、

ほとんどおばあちゃんに育てられたんだけど、

 

 

それも、

「お母さんから愛をもらわなければいけないのに!

お母さんにお世話してもらわなければいけないのに!」

って思ってたんだよね。

 

 

 

今思えば、

なぜ?誰が決めた?って感じ。

 

 

 

 

 

愛に、本当も、嘘もない。

 

家族にこれが正解!なんてない。

 

 

愛は自由で、ふわっとかるいドキドキ

 

子供は誰が育ててもいいドキドキ