宮古島への3日間の旅が終わりました〜
すっごく女っぽい土地ですよ!宮古島って。
赤が混ざったような淡いピンクのイメージ。
・超❤︎綺麗で透き通っているところもあれば、
・少し濁っているところもあって。
あぁ、海ってなんでも受け入れるんだなぁ...
って思ったんです。
ゴミだって、
環境汚染のよく分からない液体だって、
葉っぱだって、
毒をもったものだって、
時には、人の死だって受け入れるんです。
でもそれを含めて海なんです。
黒くて濁ったビーチもあれば、
透明で透き通ったビーチもあるんです。
だけど、海は全て繋がっているんです。
ここから綺麗なビーチ!
ここから濁ったビーチ!
とかは、ないんですよ。
つまり、
透明で透き通っているのも、
黒くて濁っているのも、
全てが海なんです。
濁ってるから海じゃない!とかじゃないの。
ただ、スポット(場所)が違うだけ。
何が言いたいかと言うとね、
頭で考えている、
良い・悪いは全てオッケーを出していいんだよ。
っていうこと。
だって海の在り方を見たら、
わかるでしょ?
一旦、どんな自分も受け入れていいの。
そこで深い受容を起こしてほしいの。
価値や、善悪さえ越えて、
あるがままの自分を。
「それを持っていてもオッケー」
と言ってあげるの。
そうしてあげることは、
怠慢でも甘えでもなんでもないの。
だって、そこを受け入れた上でしか、
「透明で綺麗な、お魚さんがたくさん泳ぐビーチ」か、
「黒くて濁ってて、ゴミが浮いているビーチ」か、
選べないから。
どんな自分もさ、
海の在り方で「オッケ〜〜〜^ ^」
とした上だったら、
どんな行きたい未来も選べるの。
その"自分"という存在を、
100%肯定してあげた上だから、
「あの綺麗なビーチに行って、
シュノーケルしてサンゴやニモみたいなお魚みる〜〜♪♪」
ってできるんだよ。
海って、
女性のお手本な気がするんだよね。
「こう在るんだよ」
って優しく、当たり前に伝えてくれてるの。
ただ、在るだけで。
私はそれを伝えたいなぁ。
頭と身体が繋がると、
体感としてフッと分かります。
身体の中にはね、
善も悪も、価値も無価値もなく。
あなたの「そういう状態」がただ在るんです。