持ってくる服の選択を完全に誤った。
4月のパリはまだ寒かった。
5月に入った今も、まだセーターが必要。
街の人は冬用コートをまとい、首にマフラーを厚く巻いている。
初夏の薄い服を重ね着して毎日を凌いでいる自分が悲しい・・・
***
ある日の午後をリュクサンブール公園で過ごし、夕方公園を出る。
まだ明るい。
これからどこか別の場所に行くには遅い時間帯、でも帰途に就かなければならないほど遅くはない。
セーヌ川まで歩いてみることにした。
オフラインマップで方向を確かめて、北の方向に進む。
途中、視界が開け堂々とした美しい教会が現れる。
サン=シュルピス教会。
新緑の木々に囲まれた広々とした空間。
教会の正面には噴水。ザーザーと音を立てて水が上から下に流れる。
見ていると心が癒される。
教会の姿(独特で二つの塔が建っている)は特に好みではないけれど、この噴水は見事だ。
赤い花をつけた木々は何という植物なんだろう。
ベンチでは人々が休憩したり歓談を楽しんだりしている。
ゆっくり歩いて空間の雰囲気を味わう。
以前来たときは11月で、教会の周囲は閑散とし、噴水は水がなかった。
代わりに、砂や乾いた枯れ葉が入っていて打ち捨てられた感じがした。
同じ教会なのに季節によってここまで印象が違うとは。
教会を後にして再びセーヌ川の方向へ歩を進める。
大きな交差点に出くわす。
目の前にサンジェルマンデプレ教会が立ち上がる。
「おお、ここにあるのか」
歩くことでパリの地理と位置関係がわかってくるのが楽しい。
教会の塔は修理中のようでカバーがかけられていた。
教会の隣に出店がいくつもたってので、立ち寄ってみることにする。
アクセサリー、ジャム類、菓子類、バッグ類などを売っている。
スカーフ類を売っている店が目に飛び込んだ。
寒い日が続くパリ、大きくて暖かなストールが欲しい。
吸い寄せられるように近づく。
インド人と思われる男性の店主に笑顔で挨拶する。
「ボンジュール」
インド独特の凝ったデザインのストールがズラリと並べられている。
デザインは私好み。クオリティもしっかりしている。
店主と会話しながらいくつかのストールを羽織ってみる。
店主:「インドでつくった商品を年に3回パリに来てこうして売っているんだ。4月、7月とクリスマスのシーズンだけね」
私がその時に身に着けていた赤色のストールも、インド産だった。
今回の旅に持参した唯一のストール。
私:「今しているこのストールもメイドインインディアです(ストールの「Made in India」のタグを見せながら)」
店主:「ああ、一目見ればすぐにわかるよ」、「どこで買ったんだい」
私:「日本で。普通のお店。こんなデザインが好きなんです」
店主は笑顔で感じがいい。訛りのない英語を話し真っ白な歯が好印象を与える。
仏人のお客さんには流ちょうな仏語で応対している。
私:「隣の出店でスカーフを売っているのは息子さんですか」
店主:「甥だよ。家内工業で商売をやってるんだ」
店主:「ここでは○○€だが、百貨店では同じようなものでも値段が○○€になる」
確かに、デザインとクオリティからよい品であることはわかる。
店主からは、売りつけようとするプレッシャーは受けない。
複雑なデザインのファブリック、その上にさらに赤、ベージュ、黄など異なる毛糸を縫い込んでいる。
凝ったデザイン、オリジナル、機械の大量生産ではないこんな手作りストールは私好み。
大ぶりのストールで、両端にはファーがついている。
ストールの両端はフリンジが多いとおもうが、このファーが私の心をギュッとつかんだ。
たくさんの種類の色があったが、緑色に惹かれた。
緑色なんてめったに選ばないし、そんな色の服も持っていない。
でも、濃い緑色が私の黒髪、肌色、口紅に合っている気がした。
気に入ったけど値段がなあ・・・
店主は15€値引きしてくれるという。
店主:「ただの土産品ではなくて、身に着けるものだったらこの先何年も着ることができて活用できる」
もともと、この旅行中に自分のために何かを買うつもりは一切なかった。
旅行自体にお金がかかったため、滞在中は節約を心がけるつもりだった。
実際、食事はすべて自炊しレストランは一切入らず、肉や高い食材も買わない。
観光は公園か教会、ルーブルとオルセー以外は無料のミュゼだけに行くことにしていた。
値引きはありがたいが、それでも円に換算したら結構な額だ。
でも、立ち去りがたい。
濃い緑色、凝ったデザイン、大ぶりで両端にファーがついていて可愛い、おしゃれ、大ぶりで見るからに暖かそう。
このストールを身にまとってパリを歩いたら、さぞかし素敵な気分だろう。
しかも、なかなか似合っていたではないか。
気に入ったが、値段がちらついて買う決心がつかなかった。
私:「一度家に帰って考えてみる」、「たくさん試させてくれてありがとう」
店主:「オーケー、でも日曜日までしか開いていないからね」(その日は金曜だった)
その場を離れて、セーヌ川方向へ歩き始める。
頭の中は、たった今買うことをあきらめたストールのことでいっぱいだ。
歩きながらグルグル考える。
素敵なデザインだったな。
クオリティもよかった。
値引きもしてくれる。
あのストールを着てパリに出かけるのはさぞかし幸せな気分だろう。
何年も着ることができるし。
日本に帰ってもこの先何年も何年も、あのストールを身に着けるたびに、この日のことをこの旅のことを幸福な気持ちで思い返せるだろう。
何より、気に入った。
お金はないわけではない。
ただ節約するためだけに、気に入ったものをあきらめるなんて、一体何のための人生だ。
あのストールは手に入れるべきだ。
よし決めた。
回れ右をしてサンジェルマンデプレに引き返す。
私:「ムッシュー、戻ってきたよ」
店主は驚いた様子もない。
私:「今度は買うから、もう一度いろんな色を試させてください」
私は本気になった。
重いリュックを方から降ろして商品の間に置かせてもらう。
来ていたレインコートやらを脱いで、薄い春物カーディガン(赤)だけになる。
店主は店舗の内側から先ほどと同じようにこちら側に出てきて、大きな鏡を持って私の前に立ち、姿を見れるようにしてくれる。
赤、グレイ、薄緑、ローズピンク、紺、青、いろいろ試した。
やっぱり最初に惹かれた濃い緑色が一番しっくりくる。
店主:「この濃い方の緑が似合うよ。肌の色を白く見せてくれる」
私:「これにします」
カードで支払う。
紙が切れてレシートを渡せないと言う。
メールアドレスをここに入力したら、メールでレシートが届くと言われ、半分疑いながら旧式のカードの機械にメールアドレスを入力する。
(帰宅したらレシートはちゃんとメールで届いていた)
晴れ晴れとした気分で店を後にする。
気に入ったストールを手に入れることができて、心は満たされていた。
買ってよかった~。しみじみ嬉しい。
もし買わなかったら、この滞在中ずっと、いや日本に帰国してからもずっと後悔していたことだろう。
自分に言い聞かせる。
気に入ったものをあきらめないで。
それは出会いだから。
あなたは自分を大切にして、もてなすことができる。
このストールはこの先何年も、この日のことを、この旅のことを思い出させてくれるだろう。