これ2020年の話。


早く仕上げなさいよ…ってえー


時間があるので連続投稿です!

やっぱり時間って大事だ…。


元々、バリの事をブログに主に書いていた私ですが、最近イラストばかり描いてるので、バリのイメージない人も居るかも…アセアセ


全くイラスト関係無い2020年のバリ旅行のブログなので興味ない方は回避してねニコニコ


バリブログ楽しみにしていてくれた方々、お待たせしました!



上矢印からの続き。(これ書いたの8月だって…ひゃー酷い…)


ジンバラン海岸の後、まだ時間があったのだけど、私はこの辺りの土地勘も無いし、行き先はバリ父ちゃんにお任せした。

バリ父ちゃんが何やらウキウキルンルン


『想い出の場所 行きましょう!』


って何処だろ?って思ったら





ヌサドゥア海岸についた。



『小坊主くん、お腹の中に居た時よくここ来ました。


ママが1番好きなとこです。』



え?私、1番好きなとこだったっけ?


本人全く自覚が無いんですけどえー


勝手に1番好きとか言わないで!とか笑いながら文句言った気がする。


小坊主も笑ってた。


でも、バリ父ちゃんは家族みんなでヌサドゥアに来れたことが嬉しいらしく


『みんなで来れて良かったです!』


とご満悦だった。


この子なんて言うんだっけ?


カマサン絵画で良く描いてたのにスッカリ忘れた。

2対になっててもう1人?居るんだよね。


あーダッシュもう記憶の彼方に…




ヌサドゥア…


私、確かにヌサドゥア好きだったんだけど


ここだったかな?


ちょっとイメージが違うんだよな…

お天気も関係してるかも?



ヌサドゥアと言うと


白い砂、青い空なんだけど…


どんより…


しかも、なんにもない。



開発されて新しく綺麗になりました!


と言われてもピンとこない私。



ふぅ〜んキョロキョロ



もちろん小坊主は私のお腹の中に居た時しか来てないからわからないはず…


立派な公園だねぇ〜!


と言いながらトボトボ3人で歩く…



んー?



あー!アルジュナ!


(全然違ったらごめん!)


立派は石像だねー!なんて、ありきたりの話していた。




これは帰国した後に思い出したんだけど…


確かに私は妊娠中に何度かヌサドゥアに連れて行って欲しいとバリ父ちゃんに言っていた事を思い出した。


初めてのバリで、ツアーかな?忘れたけど…初めて行ったヌサドゥアキラキラ


ヌサドゥアはバリの中では観光エリア!としてきちんと警備がされた独特の作られた場所だったりする。

それでも現地の人のエリアもすぐ側にあったりして、けして観光客しか入れないわけではないと結婚してから知った。


ヌサドゥアの海は凄く綺麗な海で…


その周辺には、キラキラしたお店も沢山あって


ムーディーな音楽が流れていて…


歩いてる人は皆、観光客ばかりだったけど…


優雅に南国を楽しんでいた。


これぞ赤ワインバカンス!!トロピカルカクテルって言う雰囲気だった。


映画のワンシーンに迷い込んだような感じで


こんな優雅で優しくて甘い時間が存在するんだ…って当時凄くドキドキした。


そこに居る自分もキラキラしてる気がして、凄く嬉しかったし誇らしかった。



バリに恋焦がれて、バリに無理矢理しがみつきたくて、仕事(結局VISA下りず不法労働だった)したり、バリ絵画習ってみたりして、最終的にはバリに嫁に来てしまった私だったけど


時々、初めてのバリを…

お客さんだった頃の気持ちを思い出したくなって…


ヌサドゥアに行きたいって言ってたんだ。


ヌサドゥアに行くと、初めてバリに来た時のキラキラしたバリを思い出してキュンとするんだ。


一緒に歩いた日本の友人の笑顔とか…


キラキラしたシャボン玉みたいな中に自分がいる気がした。



けしてバリ嫁が嫌だったわけではない


ただ…


観光客と現地在住バリ嫁の間に確実に違う時間が流れていて


バリでは観光客の事や外国人の事を tamu (お客さん)と呼ぶんだけど、私はtamuであってtamuではないのだ。


説明するのが難しいんだけど…


時々窮屈に感じる事があったのが正直な気持ちだ


どっちつかずの自分…


ここぞと言う時はよそ者の私は、tamu扱いされてしまう


でもtamuにもなれない。


どっちでもない自分…



いっそ。tamuになりたい。

観光客に紛れたい…


誰も私を知らない場所に行きたい


私もキラキラしたバリをまた感じたい浸りたい



そして、やっぱりバリは魔法の島だなって再確認出来る空間が私には何故かヌサドゥアだった。



出産して、色々学び、だんだんtamuに慣れて来た自分が居て、私生活でうまくtamuを使うようになって来た。


私、tamuだから知りません〜知らんぷりわかりませ〜ん!みたいな…

アホを演じるに近いかもしれない。

わかってても面倒だから知らんぷりをするのにとても便利だった。

tamuは、立場を上手く利用出来る様になって大事なツールになった。


ただ、初期の頃は、バリの人と本当に打ち解けたいのに仲間に入れない…みたいな寂しさや孤独感が常にあったんだ。



私のヌサドゥアは、この曲がいつも流れる。



Kenny G のForever In Love』


初めて来た時にずっと流れていて、帰国してから調べた。


これを聴くとやっぱり涙が出る。


このなんとも優しい…

当時、夕方のバリの海岸によく似合っていたよ…。



バリが好きだな〜って気持ちが

当時の記憶が


溢れて泣けてくる。



きっとそれをバリ父ちゃんにはインドネシア語ではちゃんと話せていなかったから、私がヌサドゥアが好きと解釈していたんだなと思った。


そして、ヌサドゥア=ヌサドゥア海岸と思っていたのだろう、確かにバリ父ちゃんが連れてきてくれたのはあの場所だった。


私が行きたかったのは、観光客がいっぱい居るお土産屋さんが沢山あるヌサドゥアのメインの方だったんだけど…


ちょっと外れて遠巻きに観光客を見るのがその時の自分らしいと思って居たから、それで良かったんだ。


ただ、2020年のこの時期はコロナ騒動勃発で観光客は皆無だったからイメージが違い過ぎて思い出せなかったんだと後になって思った。



今となっては、彼が家族みんなで行きたかったヌサドゥアに家族で行けてよかったなと思った。


小坊主もお腹から出てたし、もう20歳になった。

当時は18かな?


彼の願いは叶ったんだ。



しかも、私のバリのキラキラのヌサドゥアに、しっかりバリ父ちゃんも刻まれたよ。


凄いね!


Kenny G のForever In Love』を聴いたら、バリ父ちゃんも思い出すようになってしまった。


しかも『Forever In Love』なんて、憎いなぁ…


良い曲だから良かったら聴いてみてニコニコ


しっかりうまく刻み込んで逝ったな…

バリ父ちゃん!



その後、私達は、ヌサドゥアを後にして空港に向かった。



空港でバリ父ちゃんと笑顔で別れた。 


『また来るね!』


これがバリ父ちゃんと交わした最期だった。



この後、数ヶ月後の2020年7月29日にバリ父ちゃんはデング熱であっという間に亡くなった。


こうしてバリ旅行を振り返って書いていると、どうも全て虫の知らせ…的な部分を感じずにはいられない。


あの時も…

あの時も…


何かに導かれたようにバリに入国出来たのは…

なにかのチカラがあったんだろう



スバヤンの滝で、バリ父ちゃんに手を引っ張ってもらった時があったんだけど、その時にふと…


『あれ?…あったかい。


   …生きてる?』


ってふと思ったんだ。


あの時は、なんでそんな風に思ったのか不思議だったし、気にも留めてなかった。


あれは…こうゆう事だったのかもしれないと…


やっぱり後になって思うんだ



いつも後になって気付く事が多過ぎるな、私。



ただ…

生きてるってそうゆう事なのかもしれない。


と今は思う。


いっぱい後からでも良いから感じよう。

それが出来るうちは精一杯感じてやる!



最期に素敵な家族団欒をありがとう!

バリの神様スターと強く思う。



また必ず行くからね。バリ!




つづく?