沖縄は桜が満開の季節となりました。


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私は沖縄生まれの東京下町育ち

帰省したのは、祖母の介護がキッカケとなる。

父は、与那国島出身

母は、沖縄県の東風平町出身

現在では、東風平町という地名さえ
なくなり、

道路が整備され、舗装され、

新しい家々が建ち並び、

大きな店舗が次々とできて、

すっかり都会化してしまった。


サトウキビ畑が恋しくなる程に都会だ。



娘の私が言うのも何なのだが、


父は、中村雅俊似の優しい雰囲気のある

人に流されやすい、優男。(やさおとこ)

お酒を呑むとやらかすタイプ。


母は、南沙織を代表とする沖縄美人

自分の道を突き進む、頑固で意地っ張りな

器用貧乏とでも言って置こう。


そんな不器用なふたりの間に、

唯一の娘として、私は誕生する事となる。


不器用なふたりは、

若き時に出会い、

若さ故に、分かり合えず、

分かり合おうともせずに、

本能のままに、別れる事となる。


物心ついた頃には、

父の存在も母の存在もなく、

祖父と祖母が私の全てとなった。

温かい眼差しと温かな包容力

そして時折、見せる

茶目っ気のおかげで、

私は伸び伸びと育った。

育ててくれた親。

私の原点である。


そんな大好きな祖父母の元を

小学校を上がる前に急遽、離れる事となり、


急遽、母親と東京下町暮らしを

始める事となるのだが、


介護の為の帰省は、苦ではなかった。

介護も苦ではなかった。

寧ろ、もっと沢山してあげたかった。

もっと沢山、話し遊び、癒しをあげたかった。


試行錯誤の介護で、

本当に至らない事ばかり。

後悔が残った。

そんな私も今では、知識を得たいと資格取得し、介護職員として働いてる。


こうなるまでが、本当に長かった。

また長いようで、振り返ると短い。

あっという間

長いと思った時は、現状維持をしてる時。

それもまた必要な時。

けれども振り返ってみて、

短いと思った時は、自ら動いた時。

自分の現状を変えたい、と思った時が

動く合図なんだと改めて思う。



辛い現状も辛い身も心も

動けば必ず好転して、

全てを包み込める。

必ず、実になる事を知る。

いくつになっても

𖤣𖠿𖤣𖥧𖥣。𖥧 𖧧𖤣𖥧𖥣。𖥧 𖧧𖤣𖠿𖤣