正直、高齢出産をナメてました | 精神病ですが子育てしてます

精神病ですが子育てしてます

うつ病とパニック障害で何もできない40代。
上の子は社会人、下の子は1歳。不妊治療の末、年の差姉妹の母してます。

10月になり、結婚10年目を迎えました。


思い返すと結婚生活が始まってからは、精神科の通院と不妊治療ばかりしていた気がします。

家から出られなかったり、記憶の無いところで何かやらかしていたり。

精神病も不妊症もハッキリとした原因がわからず、「全て終わらせたい」「なくなりたい」と何度も思いました。


それが、出産してからは、少しでもこまめと一緒にいたいと思うようになりました。

一緒にやりたいことが沢山ある。

行きたいところが沢山ある。


贅沢を言えば、お姉ちゃんももう一回最初から育児がしたいです。

楽しむ事ができず、可愛い姿をゆっくり見れなかった長女。

母親の自覚が足りず、ほぼネグレクト状態で育ててしまったという後悔。


大人になってしまった今、幼少期の時間を埋めることはできません。

それでもできる限り、一緒に何かしたり教えたりできればなぁと考えています。






出産のその後、続きです。↓↓


産後3日間は寝たきりで、やっと起きれたと思ったら歩くのが辛い。

体の水分を抜いたせいで、体重は20㌔近く落ちていました。

回診にきた先生にも、「別人だね」と笑いながら言われました。


糖尿病の数値も安定。

血圧も下がりました。

一応の退院までのスケジュールの紙をもらい、早く帰りたいなぁ…と思ってい頃です。


10日振りくらいに洗髪の許可が下りたので、洗面所に行ってサッパリ。

髪を乾かして部屋に戻りベビールームに預けていたこまめを迎えに行く時でした、、、


立ち上がった瞬間にドバッと悪露らしきものが。


「そういえば、今回は悪露が少なかったなぁ。でも帝王切開だからすくないんだよね?多分…」

そう考えながら部屋から一歩外に出るとまたドバッと出てきました。

目眩で立っていられなくなり、ナースステーションの前で壁にもたれ掛かりながら「悪露が…多分沢山出てきてます…」と伝えると、看護師さんは慌てて車イスを持ってきてくれました。


大袈裟だな…申し訳ないショボーンと思いながらベットに戻されて悪露の確認をしたら次から次と血の塊が出てきました。


「出血量計って!」「先生呼んできて!」の声が。

助産師さん看護師さん、先生と6人くらいバタバタと集まってきて、下からエコーで確認されました。


「沢山残ってるね〜」「子宮内?大丈夫?外じゃないよね?」とか、不安になる内容の会話。

そのうちに頭がボ〜っとしてきました。


「血管が見えません!取れない!」の声。

腕やら手の甲やらブスブスと針を刺されました。

20箇所以上はやられたと思います。

「新人研修の実験台かよえー」と思うほど。


そして、「ダメだ、分娩台空いてるか確認して」と先生。

「中に悪露が沢山溜まってるから、分娩台行って出す処置をしますね」と。


そして戻された分娩台。

また来てしまった・・・💔


もう一人先生が来て、悪露を掻き出す処置。

そして、「もうね、ペットボトル2本分も出血してるからね、歩けないよ。輸血するから」


・・・!?!?


人生初の輸血でした。

けども、貧血で真っ白になってしまった私の皮膚には相変わらず血管が見当たらなかったようでまたブスブス射されてました。


一本目の輸血が入って少ししたら、いきなり寒さが襲ってきました。

寒くて寒くて震えが止まらなくなりました。


「急いで暖めて!痙攣起こすよ!」という先生の声。

聞こえたと同じくらいに、寒さも痛みも無くなりました。


「あぁ…私死ぬのか…。好きなことばっかりやってたから思い残すことも無いや。むしろこの年まで生きてたのが凄い。こまめも産んだし、頑張ったからOK…」

意識が遠退くのを感じながらそんなことを考えていました。


どれくらいの時間が経ったのか分かりません。

身体が熱くて目が覚めました。

「大丈夫?声聞こえる?電気の光は?見える?」

「見えます…暑いです…」


電気毛布を外してもらい、そこからまた輸血をおかわり。

徐々に落ち着いてきました。


産褥パットが無くなってしまい、旦那ちゃんに連絡。

病院に来てくれた旦那ちゃんに先生が直接説明してくれました。


急な事にかなり動揺していたようで、大丈夫か?のメールが沢山きていました。

「入院長引く、ごめんね。ホントに命懸けだわー😅」と返信。


またこんなことが無いとも言いきれないので、自分に何かあった時の事、旦那ちゃんが仕事中にこまめを預けれる施設とか調べてメールしました。


子供を強く望んでいた頑固な旦那ちゃんも、今度ばかりは「無理させてごめん」と言ってくれました。




その後は順調に回復。

予定より3日遅れで無事に退院になりました。


高齢出産をナメてたネガティブ私の難産エピソードは以上になります。






もうすぐ幼馴染みのところにも赤ちゃんが産まれる予定で、安産を願うばかりです看板持ち